旅の楽しみ40:新東京百景(多摩地区)を巡る~昭和記念公園

2014年9月19日

今回は、立川市、昭島市に所在する昭和記念公園です。

 

多摩地区に所在する新東京百景は概ね30か所程度。コラムに掲載していない外出も含めると、今回で、概ね巡ることになります。
当時の雰囲気を強く残すと思われるものも数多くありましたが、なかには、近隣の状況が大きく変わり選定当時の風景が想像できないもの、長期に閉鎖され今は見ることができないものなどもありました。
新東京百景選定から30年を超えるのですから、当たり前と言えば当たり前ですが、それでも各地域の名所と言われたものが、見る影もなくなるのは残念でもあり、また不思議な気もします。

こうした変化の速度が早いこと自体が、東京らしい景色なのかもしれません。

 

さて、今回の昭和記念公園は、米軍立川基地跡に整備が進められ、1983年10月に約70haで開園した後も、順次、整備され、今でも工事は続いています。大規模な震災や火災が発生した場合は、避難場所としての機能を果たすよう設計され、園路はスムーズに避難を行うために幅が広く作られ、救援隊のベースキャンプ・救護所・物資集積所へ活用できる施設もあるとされています。

この公園には、確か20年ほど前に、来たことがあります。お役所の同期の夫妻と一緒に、子供連れで山梨に宿泊の旅行に行き、帰りに立ち寄ったという記憶です。
当時、ヨチヨチと歩いていた娘2人も成人・・時間の経つのは早いものです。しかし、公園整備の歴史からすれば、当時見た景色とは、きっと一変しているのでしょう。残念ながら、当時、どのような景色だったかは思い出せませんが・・

 

本日、先に寄った青梅市所在の「櫛かんざし美術館」「玉堂美術館」からの移動中に、子供の話になりました。

家族の言によれば、今中2の長男が一番落ち着いている~娘が中2の時には、学校等でいろいろあって大変だったとのことです。
今は同居の子供は1人ですので、負担感が少ない要因は、それではないかと聞くと、例えば、次女は中2の頃は、男子学生の一群からいじめに近いことがあり、学校との調整も大変だったとの由。私が転職をした頃の話ですが、当時、娘が、「これで学校に行かなかったら負けた気がする」と言っていたとの記憶はありますが・・・今の娘たちを見ると、人は成長するものと実感します。

 

そうした話をしながら昭和記念公園に着きましたが、予定より1時間ほど遅れました。
閉園まで2時間もなく、駆け足の散策になりそうでしたが、家族が貸自転車を発見・・これを借りることになりました。自転車に乗るのは今年4月に行った広島県の帝釈峡以来、夫婦で自転車に乗るのは子供が生まれる前に行った青森県の奥入瀬以来です。
毎度不思議に思いますが、自転車に乗るのは忘れないものです。人とは不思議なもので、なかなか良い習慣は定着せず、悪い習慣からは逃れられず、経営改善・ガバナンス改善などを図っても数年で元に戻ったりしますが、自転車に乗るのは、もしかすると悪い習慣か・・

 

日ごろ自転車生活で鍛えている家族の後を追いかけるように、広い園内の広い自転車専用道を走りますが、直ぐに足が痛くなり始めます。途中、ヒガンバナが群生して花咲く地(写真)を見つけて休憩となりましたが、既に膝が笑っていました。
家族は、初めて見る景色を喜んでいましたが、私は、自転車の返却場所に辿り着けるかと心配しはじめ・・返却地に向かう最後の上り坂を息切れしながらノロノロと登る横を、70歳くらいの方が、自転車で軽く抜いていくのを見送るばかりでした。
よく見ると、抜いていった自転車はアシスト付・・今度はあれにしようと思った次第です。

 

20年で、子供たちは成長し、私は衰えた・・当たり前のことを実感した1日となりました。
新東京百景(多摩地区)は、今回で終わりです。次回から、何をしようか思案中です。