2014年9月18日
中国での勤務予定も、あと1年を切った段階で、行ったことのある省・自治区の数については、大使館の職員の中で、警察庁からの出向者の方とトップを争っていました。私も彼も3年の勤務で全省・自治区は無理としても、どうしても西蔵自治区に行きたいというのは同じでした。
西蔵行が良い時期は、短い夏の時期だけと限られています。
秋過ぎに西蔵に行った日本人が行方不明になり、翌年夏に凍死体で見つかるなど厳しい環境にあります。このため、在任中に西蔵に行くには、早々に手配をすることが必要でした。
大使館、JICA、中国衛生部の集まりがあった際に、早速、「西蔵に行かないか」と打診をしたところ、彼らの賛同を受け、西蔵行の実現に動き出しました。目的が一致すれば行動は迅速の典型例です。
まず、JICAの方が、「かつて西蔵に結核予防のための無償資金協力を行ったが、その事後フォローがまだだ」という話をして、現地視察の目的が決まりました。また、中国衛生部の方が、「直接、西蔵に行くと高山病等で体が厳しいので、まずは隣の青海省に行って体を慣らすほうがよい」との提案があり、他の2名が賛同しました。なお、数多くの地方出張の中で、自ら発案したのは、これが最初で最後でした。
その話から2か月後には、青海省行の飛行機に乗るため、当時の古ぼけた北京空港に3人が集合しました。北京から青海省へ・・東京から沖縄より遠い距離です。
古いソ連製の飛行機の狭いシートに座って3時間。青海省の省都 西寧に到着です。青海省の人口の40% 約200万人が住む西寧市は、ほとんどが漢族ですが、日本の約2倍の面積の青海省の大部分は西蔵族の自治区です。
まずは、地元の省政府に挨拶に行き、その後、市内の病院を視察し、その日を終えました。
翌日は、西寧から1~2時間程度の距離にある青海湖周辺の農村部を訪問しましたが、貧困な地域であることが一目瞭然(写真)でした。
村の中心道路は未舗装で大きな轍があって雨の日には通るのも難しそうであり、道路沿いの煉瓦造りの塀、家も多くは崩れかけて補修も不十分といった状況で、昨晩の西寧市内の繁華街とは大きく異なっていました。青海省で、この状況であれば、西蔵自治区では・・と思ったことを覚えています。
その後、当日は天気も良かったことから、地元政府の手配で青海湖に船で出ることになりました。昨日からの旅程と標高2千m程度の空気の薄さで、少々、頭痛も出始めていましたが、青海湖の風景に目が覚めました。
眩しい太陽の下、空の色と湖の色が同じ色となり、どこが水平線かわからないといった景色が広がり、涼しい風の中で、時間がゆっくりと流れる・・という鮮やかな記憶です。先に見た貧困な農村の風景とは異なり、豊かな自然を感じる・・人間の営みの小ささを知るといったことなのかも知れません。
中国で見た最も美しい「水の景色」に、心を休めて、西蔵行のための体を慣らすことができました。
翌日には標高3.6千mにある西蔵の「拉薩貢嘎(ラサ・クンガ)」空港行の飛行機に乗り込みました。