2014年8月8日
南方5省のポリオ根絶は、北方に比べて難しい問題を抱えていました。
東南アジア諸国との広大な国境地帯を抱えていたからです。日本は海に囲まれ陸続きの国境線はありませんので、どういうものか・・想像でもできないのが現実です。それを実感する機会を、このポリオの技術協力で得ることができました。
南方の技術協力が始まって早々、雲南省の国境線の地域に行くという話を聞き、現地に出張に行くことにしました。ミャンマーとの国境が続く地域ですが、聞くところでは、国境線を跨いで少数民族の村があり、道路の右端は中国、左端はミャンマーというところもあるとの由。国境=ゲートと勝手に思い込んでいた私は、直ぐには理解できませんでしたが、国境線を挟んで、それぞれのゲートがあり、その間は中間地帯として管理されていると聞いて何となく理解できました。
また、国境線は長く続くため、必ずしもゲートを通らなくても国境は超えられるようで、当時はあまり新聞に載りませんでしたが、銀行強盗が北京であると、大概は雲南省に逃げ込み、ミャンマー側に脱出すると言われていました。
事実、国境線につながる主要道路では、北京でも見ないような重武装の武力警察が配備されており、こうした取り締まりをしていることが想像できました。
さて、こうした国境地帯の地域では、それぞれの中央政府から十分な支援を受けられず、一旦感染症が発生すると直ぐに蔓延するとのこと。特に、ミャンマー側は、当時の軍事政権と対立して独自の道を歩んでいた自治州政府の管轄下にあったため、中央政府の支援も受けられず、また経済的にも貧しく医薬品も不足していることから、数多くの感染症が広がり子供に大きな被害が出ていると・・現地での説明を聞きました。
当然、こうした地域もポリオ根絶の対象地域なのですが、道を跨いで一つの村となると、中国側も国外の子供にワクチン投与をすることとなり・・対応に苦慮していました。それを背景に、日本側の専門家の提案を受け、事前調整され、ミャンマー側の自治州の保健衛生責任者を含めて意見交換をする場が設けられていました。
当時の外交官という立場からすると、参加は避けたほうが良いか・・とも一瞬思いましたが、せっかくの機会なので、一応、先方には、私の身分は隠して参加することにしました。
どんな人が来るかと思いきや、地方では、なかなか聞くことのできない綺麗な中国標準語を話す方でした。聞くと、文化大革命の際に、中国からミャンマーに逃れた「知識分子」の方のこと。歴史を感じる瞬間でもありました。
話は2時間近くになったと思いますが、自治州側の経済状況にはじまり、保健医療の状況~考えられないくらいに高い子供の死亡率・その主要因はマラリアであるが医薬品がないので感染後の手の施しようがない・国際機関を通じてミャンマーに人道支援はあるが自治州に届くことはないなど、今まで聞くことのない話でした。
また、中国側の方は、中立地帯は原則自由往来なので中国側だけで対策を講じても意味がないこと、ミャンマー側と協調した対応がしたいが政治的・経済的な理由で無理なことなどの話をして、何らかの対策がとれないかと・・日本側に要請を受けました。
現地で日本側専門家と話をした上で、北京に戻り、長文の公電(大使館から日本政府への公式の文書)にて会談の模様を報告し、少なくともポリオについては一斉投与の方法(ある場所にある時刻に集まる全員に対しワクチン投与を行う方法)で、国籍を問わず、当該地域の感染予防を図ることが必要と強調しました。
その効果があったかどうかは不明ですが、その後、南方5省の対策の強化として、ワクチン購入の無償資金協力が実現し、その一部が当該地域に回ったと聞きました。
現地で聞いた状況から言えば、「焼け石に水」ではありますが・・
あれから20年近くを経て、ミャンマーの状況も変わりました。
当時の子供たちは、もう立派な大人ですが、一人でも健やかに希望を持って育っていることを願うばかりです。