Episode92 「東北三省を訪問 日中の協力関係の原点を知る」

2014年7月18日

中国生活も2年目に入り、仕事も生活も安定した頃、当時まだ大々的に実施していた中国残留邦人の訪日調査の事前調整を目的とした厚生省社会・援護局からの出張者一行を受け入れました。

 

以前、私は、社会・援護局での勤務経験もありましたので、出張者の皆さんの顔ぶれはもちろんのこと、中国残留邦人の帰国支援の一連の業務も承知していました。しかし、実際の中国側との調整過程については、その時まで、知る機会がありませんでしたので、この出張を契機に現場を見てみたいと思い、一行に同行することとしました。

 

北京での中央政府~公安部への表敬訪問を済ませ、出張者一行とともに、東北三省の省都、瀋陽、長春、哈爾濱への出張に向かいました。ご存知のように、東北三省は、日中戦争、太平洋戦争の遠因の一つである「満州国」が置かれ、終戦後においても国民党と共産党の内戦の地になるなど、厳しい状況が続いた地です。
特に、長春は、満州事変(九一八事変)の舞台となった地であり、60周年である1991年に、事件現場に記念館が建てられる(その後1999年に増築され九一八記念館として正式オープン)など、反日意識が強いと聞いていましたので、どのような雰囲気なのかを、実際に感じてみたいと思っていました。

 

最初は、瀋陽への訪問だったと思いますが、日本の総領事館に表敬訪問を終えた後、遼寧省の公安庁(外国人の居留証管理を担当)と外事弁公室(地方政府の外交部門を担当)との意見交換の場に、それぞれ臨みました。
最初の地方出張のため、私が緊張していたこともあるのでしょうが、中国側の皆さん~特に公安関係の方は怖い表情に見え、「円滑に行くのか」と少々心配になりました。しかし、出張者の一人が口火を切ると、何と笑顔が出て友好的な雰囲気の会議となりました。
内容には、当時増え始めていた「偽残留邦人」等の厳しい話題もありましたが、中国側もその問題には頭を悩ましておりその発生予防に努力していることや、特に南方の省で問題が発生しているので中央と協力して対応を図っていることなど、誠意のある回答がありました。

数十年にわたり、中国残留邦人の解決という目的の下、日中間で培ってきた人間関係があってはじめて、こうした意見交換ができるのだ・・と素直に感動したものです。

 

その後、中国らしく「夜の会合」に席を移しましたが、そこでは昼以上に友好的、特に公安関係の女性処長が積極的に出張者や私を歓待してくれました。彼女は、以前、日本側の招聘を受けて日本に行ったことがあり、その時に受けた良い印象を、今回、日本側にお返ししたいという気持ちのようでした。
東北らしく、2人が腕を組んでの乾杯~それも40度を超える蒸留酒での乾杯を何度も勧められ、年齢が最も若い私が一行を代表して盃を続けて受けました(写真)が、それも彼らを喜ばしたようです。仕事の後は、よく食べてよく飲む・・その後も中国の方から、よく聞いた話ですが、こうしたことを繰り返して、はじめて率直な議論を安心してできるようになるのだと実感しました。
こうした地方政府の雰囲気は、長春、哈爾濱でも同じようなものでした。当初は、事業も安定しているのに、なぜ、日本側から、毎年何人も出張に来るのか・・と思っていましたが、こうした関係の発展には、顔の見える関係の維持が大事なのだと理解しました。

 

しかし、長春の記念館に立ち寄ったときには、私の顔を見た小さな子供に、「小鬼子」と呼ばれることもありました。

これは、東北三省全てが親日的ではないことの証左でしょうが、一方では、日本側との顔の見える交流を通じて、反日的ではない人がいることも事実です。現在は、中国側の反日的な言動のみがマスコミを通じて流れてきますが、果たして、それが全てなのか・・疑問が強くあります。
ただ、当時に比べると、日中間で顔の見える関係づくりが、あらゆるレベルで減っているようには感じます。現在では、中国残留邦人関係の交流も極めて減っており、私の後任者も、地方政府の公安関係者等と話をする機会もないとの由。こうした関係を、将来に向け改めて創って行くことが大事なのだろうと思います。

 

個人的には、この東北三省出張を契機に、地方に行く機会を増やすことになりました。
中央にいては見えない現実、その現実に近づくことでできる信頼関係は、楽しいと実感したからです。