Episode90 「壁に耳あり障子に目あり 悪事千里を走る」

2014年6月28日

北京は「市」ですが、日本の市とは違い四国ほどの面積があります。

 

本来の中心部は、元々の城壁跡に沿って走る「二環路」という環状道路の内側~旧城区ですが、私が在任していた頃は、「三環路」の内側(今は「四環路」の内側まで拡大した由)にまで広がっており、当時の北京在住の大使館、経済関係者等は、概ね、このエリアに在住していました。

 

この三環路は、赴任当初は、白菜を山のように積んだ馬車も走っていましたが、そのうち車で溢れました。その総距離は約50km、東京の山の手線の総距離約35kmより4割以上長く、その内側の面積は、2倍近いと思います。その広い面積に中に、数多くの繁華街があり、また女性のいる店も増え始めていましたので、男性諸氏が好き好きに夜の世界に出かけていました。

 

東京に住んでいると、夜の世界で、知人等に会うのは、それほどの頻度ではありませんが、福井くらいの地方都市では、夜の世界も限られているので、結構な確率で知人に出くわします。さて、大都市北京での夜の世界において、知人に出くわす頻度といえば、福井以上だったとの印象があります。

赴任当初、「中国語を体で覚える」という名目の下で、毎日のように大使館の同僚と違った店に行っていましたが、ほぼ、どの店でも、別の大使館関係者や経済関係者に会いました。一応、当時は、「女性が横に座るのは違法」という規制下にあったことから、行く店の選択も、日本人が行っても大丈夫という情報を聞いての選択でしたので、どうしても会う確率は高くなったのでしょう。
それでも、どの店に行っても、必ずと言ってよいほど、特定の3名の方(のうちの1人)に会うのは不思議でした。いずれも誰も連れはなく、1人で来られていました。3人のうち1人は単身赴任ですので理由もわかりますが、残り1人は、家族連れの赴任~お子さんも確か3人・・、その頻度の高さが不思議でした。私は、この「高名な」3名を、中国の古典三国志の英傑に擬え、勝手に、曹操・孫権・劉備と呼んでいましたが、この3人の方は、最後まで夜の活動のペースは変わりませんでした。

 

一方、私は、まずは中国女性を相手に、会話と筆談を織り交ぜて話をすることが目的でしたが、できるだけ数多くの人と一緒に行くようにしていました。次第に中国語を聞き話すことに苦痛を感じなくなった後も、複数の日本人同士で行くことは変わらず、お互いの情報交換~仕事よりは、家族、特に夫人の活動が話題の中心になったことを記憶しています。
「忙しい忙しいと言うので、何をしているかを聞いたら・・夫人同士のお茶会を、同じメンバー・持ち回りで、頻繁にやっているらしい。」「夫人同士の話題のほとんどは、北京の街の情報か、運転手やお手伝いさんへの愚痴らしい。」「今度、夫人のグループで、北京郊外の○○に行く企画があるらしい。」などと、夫人に直接文句の言えない情けない男同士、酒の力を借りては、陰で意気投合していました。

 

しかし、そのうち、夫人同士の話のなかで、「夜の世界で3人の方が有名らしい。」「最近は、夜の店では○○という所が人気らしい。」「夫人のことを肴に飲んでいるらしい。」等々が聞こえてきました。その正確な内容から、女性の情報収集力が強いことはもちろんのこと、夜の世界での見聞を、夫人に話をする真面目な男性諸氏がいることも確認されました。
当時、酔った私が幼い2人の娘に、「今日は、○○店のお姉さんにモテました。幸せです。」と報告したところ、娘が学校で「お父さんは、カラオケのお姉さんが大好き。」と話をしたこともありましたが、きっと、こうした事実も広く夫人の皆さんに知られているに違いない・・と少々、背筋が寒くなったものです。

 

「壁に耳あり障子に目あり」「悪事千里を走る」の格言通りですが、開き直りも大事です。「あの人はそういう人」と思われれば、何をしても大丈夫・・と頑張りましたが、今から思えば、ただの「若気の至り(写真)」です。

でも、曹操・孫権・劉備の3傑の足元にも及ばなかったことは間違いありません。