2014年5月28日
領事部の日本人スタッフは7名と弱小組織でしたが、中国人スタッフはその倍以上いる大使館内で最も強力な組織でした。
日本の査証を発行する相手は、もちろん中国人ですから、窓口業務は中国語。また、中国残留邦人関係の渡航証発行も、国籍は日本とはいえ、中国語しか話せず、それも東北地区訛りの強い人ばかりですから、とても日本人では対応できません。
このため、数多くの中国人スタッフを抱えていました。その中国人スタッフは、ほぼ全員、日本が話せるという恵まれた状況でした。もちろん、日常会話レベルの人から、通訳も問題ないという人まで、多様なレベルでしたが、それでも仕事の面では大変助かったところです。
そのうち、中国残留関係の班にいた3名のスタッフを自宅に招き日本食を体験する機会(滋賀の鮒ずしだけは悪評に終わる・・)を設けたりしました。その際、女性スタッフには、家族の協力を得て、和服の着付けを行うなどの日本の習慣を知ってもらうイベント(写真)も行いました。
その後も、勤務終了後、下町の飲み屋で一緒に飲んだりして、お互いの信頼関係を築きつつ、彼らを先生に、中国人の考え方、感じ方などを、いろいろ教えてもらいました。
また本来は、領事部業務(例えば中国残留邦人関係であれば公安関係)にしか使ってはいけないのでしょうが、次席の了解を得て、私の班で働いていた1名(男性)を、経済部の業務(衛生部、労働部関係)にも使うようになりました。昼の交渉はもちろん、夜の会合の日本側通訳としても働いてもらいました。
保険医療分野にそれほど詳しくなかった彼には、現場で、どのような話になるかを事前に説明し、いろいろと業界用語を覚えてもらったものです。中国電視台の教育チャンネルのインタビューを受けることになったときも、その通訳をお願いしました。
ある時、領事部内での中国人スタッフの配置換えの話が出ました。具体的には、次席の右腕として活動できる者を置く、業務量に応じて人員配置を見直すという2点でしたが、私の班にいて、いろいろと活躍してもらった彼を次席の右腕に推しました。能力が高いのですから、次のステップへと彼を送り出すのが私の責任と思ったからです。
実は、その前に、彼は辞めたいと言い出したことがありました。「このまま、ここで働いていても将来が見えない。」という想いが背景でした。ちょうど中国経済が伸びはじめ、日本企業の北京進出も増え、日本語のできる現地スタッフの需要が高まり、条件のよい仕事が増えてこともあります。
何人かの日本人スタッフが彼と話をしましたが、私も、夜、食事をしながら、彼の必要性、期待などの話をしました。その効果があったかどうかは不明ですが、結局は、退職を思いとどまってくれました。
こうした経過から、彼については、機会があれば、将来の可能性のある仕事をと思っていましたので、次席から内々打診があったときには、即座に了解をしました。また、3名の体制を2名に減らすことも同意したので、彼の代わりの人材として、別の部門で働いている若い男性スタッフを預かることにはしました・・いわゆる2減1増です。
新しく来た若手スタッフに対し、もう一度、同じような保健医療分野の勉強をさせるのは、結構、大変でしたが、その後、一緒に彼と地方出張(新疆)にも行くことになるなど、それなりに次につなげる準備はできたと思ったものです。
しかし、私が、大使館の仕事を終え帰国した後に、残念な話が聞こえてきました。
私の下に置いた若手スタッフが、汚職をして領事部を辞めたという話でした。
詳しいことはわかりませんが、将来の可能性のある人と思っていただけに残念でした。
一方、次席の右腕として異動させた人は、今では、大使館全体の中国人スタッフを取り仕切る役になったとの由。
今でも、日本人スタッフを支える仕事の中心にいるかと思うと嬉しいものです。