Episode84 「赴任後1か月はホテル住まい 子供に助けられた振り出し」

2014年4月28日

北京に出発したのは1995年の4月の半ば過ぎでした。

 

出発前は、地下鉄サリン事件の朝に健康診査のために霞が関に向かったり(事件のため地下鉄は霞が関を通過)、不在の3年の期間中マンションを貸す段取りを決めたり、航空便と船便で出す荷物を仕分けしたり、船便を出す前日になっても準備が終わらない家族を厳しく指導したりと、忙しい日々が続きました。
また、出発前に4人の両親に会うために福井に戻る途中に覆面パトカーに捕まりましたが、公用旅券を見せて、来週から日本にもういないので、出頭しなくても済む軽微な処理で終わるものでして欲しいとお願いするなど、番外編もありましたが・・何とか、予定通りの便で赴任することができました。

 

さて、前任者が迎えに来てくれた当時の北京空港は、今の雰囲気ではなく、何となく荒んだ臭いがし、ビルの周囲のガラスの向こうには、服装の悪い人がたむろする姿が見えるなど、家族は腰が引けた感でした。
そこから、当面の滞在先である市内の崑崙飯店(写真)に向かいました。北京での住まいは、前任者の住まいを利用する予定でしたが、前任者が帰国後、内装を行ってから引っ越す段取りでした。そのため、概ね1か月のホテル住まいが予定されていました。

 

ホテルに着くと、フロントの対応が、あまり愛想が良くありません。空港に続き、またも家族は腰が引けています。日本人スタッフが一人だけいて、何となく安心しましたが、これは結構大変そうだな・・と感じたことを覚えています。

しかし、部屋に入り、就学前の2人の娘が、わあわあと元気にはしゃぎ始めると、荷物を運んできたスタッフの対応が一変しました。自分達と一緒に運んできた荷物の半分は、子供達のおもちゃでしたが、それで遊び始めた2人の様子をみて、スタッフのが、急に笑顔になりました。彼個人の特有の対応かと思いましたが、どうも違ったようです。

 

私は、翌日から、さっそく大使館に行ったり、中国側関係者と会ったりと、仕事に入りましたが、家族は、ホテルでの滞在が中心です。ホテルの中を散歩したり、ホテル内の店で食事をしたり、近くのスーパーに買い物に行ったりしていたようですが、いずれも娘2人を連れての行動でした。当時は、中国語の単語も満足に言えなかった配偶者の言によれば、「どこに行っても、最初は怖い顔つきの中国の人が、2人の娘を見ると、急に笑顔になり優しくなり、とても助かる。」とのこと。

 

ホテルのスタッフは、仕事もほっておいて、2人の娘と廊下で遊んでくれてもいたようですし、ホテル内の行きつけになった中華料理屋では、注文の品が来るまでの間、配偶者は、娘を店に置いて別の用を済ますこともあったようです。これは、その後も、市内の下町食堂に行ったり、北京郊外や地方旅行に行ったりしたときも同じ雰囲気であり、時には、店員の方が、食卓の上の回転テーブルの上に子供を乗せて遊んでくれたりと、中国人の子供好きの様子がわかりました。

特に、当時、ふっくらした感じだった次女は、あちこちで「小胖(シャオ パン)!」と言われ、頬をつつかれたり、遊んでもらったりと、大人気でした。こうした大人気の子供を連れていると、当然、大人への対応も優しくなります。

後に、親しくなった中国人に聴くと、「1人っ子政策なので、2人連れの子供は喜ばれる。また、ふっくらした子供が人気である。」とのことでした。

 

当初、心配された、中国生活の振り出しは、こうして2人の娘のお陰で、まずは円滑に始めることができました。

しかし、大人の2人は、まだまだ悪戦苦闘が・・・。