2014年4月18日
本外務省研修所への通学を終えて、厚生省に戻った1995年の1月です。
この月は、ちょうど阪神淡路大震災(写真)があり、震災直後の生活支援を行う厚生省も大臣官房に特別の対策室が設けられました。外国出張から空港に到着した途端に、出頭を命じられ、スーツケースを持ったまま対策室に直行し、徹夜が続いた人もいたと聞きました。こうした状況もあり、私も、きっと、この対策室に行くのか・・と思っていました。
確かに、同時期に外務研修に行っていた数名は、この対策室に配属になりましたが、私は、予想に反し、当時の生活衛生局食品保健部に、法律改正の「お手伝い要員」として配属となりました。
配属先には、同期の課長補佐がいましたので、今何をしているのか、その中で、私は何を期待されているのかを聞きました。同期からは、「俺は審議会等の関係業界への対応をするので、お前は法律改正案を作成して国会に提出して欲しい。」と、役割分担を告げられました。
食品分野は、全く知見がありませんでしたので、1年生の法令事務官に、あれこれ質問攻めにしましたが、今一つ、はっきりしません。そこで、実際に食品の規制・監督をしている同世代の技官(獣医)に、直接、食品の問題について聞きました。当たり前なのですが、実際に食品問題を直接処理している人なので、話す内容は具体的であり、イメージを湧かすことができました。
当時、法律改正の対象となっていたのは、今では、すっかり普及したHACCPという方式を、新たな規制の対象として法律に位置付け、その実施を可能にすること、及び、カロリー等の栄養表示する場合のルール(健康の観点からネガティブな情報も出させるように)を決める枠組みを法定化することの2点でした。
前者は、従来の規制方法とは別に、原料の入荷から製造・出荷までの全ての工程において、あらかじめ危害を予測し、その危害を防止するための重要な管理ポイントを特定して、そのポイントを継続的に監視・記録し、異常が認められたらすぐに対策を取るという、一連のプロセス管理を行う新たな管理方法を、どう法律に書くかという技術論でした。その意味では、個人の力量で何とかなるものであり、実際にも、こちらはスムーズに進みました。
一方、後者の表示問題は、今では消費者庁に一元化されつつあるようですが、当時は、複数の省庁が別の制度を持っており、新たな表示規制は、各省庁の権限の調整を行うことが必要な事項で、場合によっては、大騒ぎとなる可能性がありました。
技官からの話で、各省庁の関心事項を聴いていたので、それを配慮して法案を作ったのですが、法案の閣議決定前に行われる各省協議で炎上しました。常識的には、実際に表示をする際に、事実上協議するという覚書を結べば終わる話なのですが、なぜか、先方は、その協議を法律に位置付けろと頑なです。無理な要求なのですが、降りる気配もありません。
3月下旬の閣議決定の予定日も近づき、こちらも赴任準備があることから、打開のために、ある強硬手段に出ることにしました。
それは、協議相手の省が出している別の法案(これも表示を内容としているもの)の各省協議に、厳しい対応をすることでした。本来であれば、内容を確認して終わるようなものなのですが、それにあえて厳しい対応をすることで、2省が通したい法案が、それぞれ閣議決定できないという環境をつくり、その下で、双方が調整・合意する枠組みを作るという発想でした。官房総務課(各省協議の窓口)からは、「下品なやり方だ」とも言われましたが、背に腹は変えられません。なにせ、私の赴任準備の時間がなくなるからです。
お陰様で、相手先の省は、自分の法案が大事と判断されたようで、省内力学で、当方の表示制度の協議も正常化しました。(その後も一悶着ありましたが・・)
閣議決定は遅れましたが、何とか、3月中には、同期から依頼された仕事を終えました。
しかし、あの時の各省協議ほど、厳しく辛い各省対応はありません・・。ただ、厳しい状況を共にした、その時の技官とは、中国赴任中も仕事でお世話になり、帰国後もゴルフを一緒にしたりと、今でも関係が続いているのは不思議なものです。