Episode80 「中国から帰国 鞄持ちから再スタート」

2014年3月18日

霞が関の人事異動は、当時は7月が通例であり、4月に赴任する後任者との引き継ぎを終えて5月に帰国すると数か月の空き時間がありました。

 

円滑な日本社会への「復帰」のためには、数か月、後任者の赴任を遅らせられれば、双方、時間の無駄なく異動ができると(実際には楽しい中国生活を少しでも伸ばそうと)考え、人事課に働きかけをしましたが、残念ながら不首尾に終わり、恒例に従い4月の後任者の赴任と5月の私の帰国となりました(今は夏の異動が普通のようです・・)。

 

後任者の赴任日が決まると、私の送別会と称する、中国側と後任者の顔あわせの会が続きました。私が赴任したときにも結構ありましたが、帰国のときには、結局、概ね5割増し=計20回程度の会合となり、この回数をみて、自分自身が結構いろんな所と付き合ったのだな・・感慨深かったことを覚えています。

今でも、当時の送別会のことを思い出すときがあります。あの時の中華料理をもう一度食べたいな・・あの人は今は何をしているのか・・などと。

 

しかし、さすがに2週間昼も夜も会合~アルコールも結構出ますので・・帰国のときには、正直、体力も相当消耗していたはずです。帰国したら、少しはゆっくりできるか・・と期待していましたが、帰国した際に受け取った辞令には会計課と書いてありました。

事前に会計課の先輩から、しばらく手伝って欲しいと言われていましたが、どう考えても5月の会計課に人を置く理由がわかりませんでした。しかし、着任した日に、「総務審議官に挨拶に行って欲しい」と伝えられ、理由もわからずに挨拶に行ったところで、私が、彼の国会審議の場での鞄持ちだとわかり、そのまま国会に、ついていったと記憶しています。

 

当時、前年の11月に橋本内閣の下で制定された「財政構造改革の推進に関する特別措置法」の改正の審議が国会で行われていました。改正の内容は、確か、赤字国債発行の毎年度削減の一時停止を可能とする弾力条項を加えるなどであったと思いますが、個人的には、制定後、「半年もせずに改正するような法律が、あるのだな・・」と思ったものです。

 

景気の後退等によるもので、財政的には、やむを得ないものなのでしょうが、一方では、そうした特別措置法を必要とした理由は、当時厚生省の社会保障予算であることも事実であり、改正については、厚生労働省に数多くの質問が出ていました。
鞄持ちは別に私でなくても良さそうなものですが・・聞くと、会計課の先輩補佐と総務審議官は合わない面が多く、資料の事前レク等の場で、結構ギスギスしていたようで、私がその代行を務めることが期待されたようです。

しかし、聞くところでは、中国赴任前の私を知る人からは、「うまくいくのか・・」という声もあったようですが、不思議と総務審議官と馬があう・・息があい、円滑な仕事が続きました。レク等で無駄に遅くなることもなくなり、会計課の皆さんも落ち着いたようです。

 

個人的には、中国で思考パターンが本質的に違う人たちと、多様な付き合い方をした結果が出ているのではないかと当時は思いましたが、単に、私が3年歳を加えて大人になったせいかもしれません。
約2か月後には、無事、特別措置法の改正は通り(その半年後には廃止になりましたが)、私の帰国後初の仕事=毎朝の鞄持ちも終了しました。ある意味、無意味な時間を費やしたとも言えそうですが、その期間中、国会での審議で聞いたことが今の私の社会保障費に対する感覚の基礎となっていることも事実であり、また、その時にできた会計課の皆さんとの人間関係が、その後の国際課等での無茶な予算編成に生きていることを考えると、不思議な気がします。

 

世の中には、それほど無駄な時間はないのかもしれません。

ただし、同時期に中国にいた各省の人の多くは、その後も中国関係の仕事を継続して、中国専門家として活躍されているのとの対比では、その後、中国関係に関わることは稀(国際課での食品問題程度)でしたので、その意味では、残念な気もしています。