2014年2月28日
現在はわかりませんが、当時の国家公務員試験では、試験区分ごとに順位がでました。そうした試験成績の高い人を優先的に採用するような役所もありましたが、個人的には「無意味なことをするな・・」と思っていました。
当時、国家公務員Ⅰ種を目指し合格採用される人は、東大(写真)、京大、一橋大といった常連の国立のほか、慶応、早稲田といったところに限定されていました(今は、だいぶ違うようですが)。私と同期だった者も、全員が、この大学の出身でした。採用時に試験結果も話題になったことはありますが、誰も重視はしていませんでした。
試験に合格できるかは、それなりの勉強も必要なのかもしれませんが、所詮、正解のある問題を早く解くという能力に優れているだけのことであり、ほとんどが正解のないことばかりの実際の勤務の場では、試験の能力は全く役に立ちません。大事なのは、面接の場等で試される、本人の考える力、表現する力ではないかと思います。
これは、幼いころから、どのように育ってきたか、また、学生時代にどのような人間関係を持ってきたかに左右されます。自分の経験・体験からしても、就職後に、この能力を高められる人は少ないと実感しており、自分の子供たちには、試験成績よりも、こうした力を身に着けてもらいたいと思っています。
ただ、大学名や面接時の印象ばかりが強調される時代ですので、なかなか、本当の考える力、表現する力を認めてもらえるかは、社会側の問題であることは間違いありません・・
また、私の同期は、各局の総務課長、企画課長の世代となっていますが、全員がなっているわけではありません。その結果を見るに、採用時の成績とは間違いなく相関関係はなさそうです。彼らには失礼を承知で言えば、与えられた働く場の運不運、与えられた場での実績の積み重ね、そして本人の健康状態といった結果の違いで、今があるように感じます。
さて、前回記した労働省と厚生省の共同採用は、20人以上を採用するという前例のない規模でしたので、前例を壊すよい機会でもありました。女性の採用を増やしたい、常連大学名とは違うところから採用したいといった、採用チームのチャレンジが行われました。
女性の採用は、当時、各省とも女性は1名との実績が続いていましたが、明らかに面接等をしていると、女性のほうが役に立つことは目に見えていましたし、また、今後の政策を考えると女性の比率が高いほうが、よい案が出るものと期待したからです。男性は、時に上意下達に慣らされやすく、女性のほうが現実を変える力があると、私も考えていました。
また、当時、常連の大学以外の大学出身者は、補助的な仕事が多い国家公務員Ⅱ種というパターンが定着していましたが、そうした状況を活性化するには、個人的には、常連大学以外からのⅠ種採用も必要かと漠然と考えていました。
女性の選定は、面接結果からも当然のように複数の人に内定が出ました。大学名の問題は順調には行かないと思っていましたが、最終評価会で、内々示候補として残った数名に、こうした大学出身者がいたときにはチャンスと思いました。そして、「君なら誰にするか?」と聞かれ、迷うことなく常連大学以外の学生を推薦しました。推薦を求めた採用チームの責任者も同じ見解であり、その理由も私と同じと聞いて驚いたことを覚えています。
これで無事終了かと思いきや、何と女性の内定者が試験に落ちる(当時は試験結果発表前の採用活動でした)というハプニングが起き、一方、合格が不安視された某大学出身内定者は、見事合格しました。何事も予定通りには、いかないのは面白いところです。
最近、その彼と会う機会がありました。
採用直後は、髪型など何かと話題になったと記憶していますが、今や政策調整委員。10年以上の仕事の経験、また外国での経験を経て、自信のある発言ぶりに、当時の判断は間違っていなかったと改めて思ったところです。
今から10年後、彼の総務課長の姿を見る頃、私は何をしているでしょうか・・
次回からは中国時代です。