2014年2月18日
2001年(平成13年)1月の中央省庁再編により、厚生省と労働省を廃止・統合して、厚生労働省が誕生しました。統合に際する混乱の一端は、既にコラムで記していますが、その一方では、他省庁に先駆けて、名実ともに統合される前年の2000年度の採用(1999年夏の採用活動)を共同で実施するという、非常に前向きな取り組みもありました。
私は、3年の中国勤務を終えて、会計課での短期の応援も終え、ちょうど暇もあったからでしょうが、次の正式異動(結果医療課へ)までの間、この採用チームの一員に選ばれることとなりました。
最初の会議は、双方の面接官が集まりましたが、「えも言われぬ」暗い雰囲気でした。
既に、統合にかかる双方の組織間の鍔迫り合いも厳しくなっており、また、個人的にも、ほとんどが始めて顔を合わせる人であり、双方が疑心暗鬼の状態だったからでしょう。
さらに、採用法の方法なども、大きく違うという噂も聞いていましたが、とりあえずは、計20名以上も採用するという、双方、はじめての取り組みであることもあり、採用面接の方式は、ある程度は組織的に行っていた厚生省の方式を基本に始めることになりました。
さて、初日の面接を終えると、同一人に対する双方の面接結果が大きく異なることとなり、夜の評価会で議論となりました。労働省側は、「労働行政に関心があるかないか」という点を重視し、「関心がない」場合には、全体としてマイナスの評価となる傾向となっていました。労働法、労働経済といった学問領域があり、過去は、こうした分野を勉強してきた人が、関心をもって労働省に面接に来たという背景でしょう。一方厚生省側は、「大学生が社会保障に関心があるのは、かえっておかしい。対象分野に関心があるかないかは大きな問題とは思えない。」という意見で、概ね、労働省側とは逆の採点となっていました。実際に、その時に面接をした厚生省側の者で、学生時代に社会保障関係に関心のあった人は(私も含め)一人もいなかったはずです。
こうした双方の認識の違いは、共同採用を進めるうえでは、大きな障害でしたが、議論して一方の認識に決めるというわけにも行かず、双方の認識の違いを前提に、日々の評価会の中で、個別の学生をケースに、その距離を近づける努力が繰り返されました。
一方では、大量の学生を面接し採用するという初めての取り組みであり、また学生間の形態による情報連絡も広がっていたことから、円滑な面接を進めるには、係長だけの準備では難しくなっていたので、私がロジ隊長(進行管理役)を引き受けることになりました。既に3回目の採用担当でしたので、面接マニュアル通りの話を繰り返す学生面接には飽きていたので、ちょうど良い機会でした。
私の仕事は、各省の動きを入手し、学生の動きを判断し、翌日にどのような面接を進めるか・・面接官のクラスを上げるか、それにどの学生を会わせるか、などを判断し、評価会で説明し決めていきます。手順や情報が悪いと、「もうあの役所に行ってもダメだ。決まったらしい。」と、学生は勝手に推測して、あっという間に、面接に来なくなります。こうしたリスクを避けつつ、どう進めるかは、結構、前例のない難しい仕事でしたが、なんとか、一体感も出てきた採用チームの協力もあり、最終段階まで漕ぎつけることができました。
最終段階では、私も、ごく限られた人と面接をしました。厚生労働省と他省庁の選択に迷っている人でした。そこでは、一切、相手に厚生労働省に来るべきといった説得はしませんでした。迷っているという話を聞き、なぜ迷っているかの理由を聞き、「迷っているのは君らしくない。来て欲しいの当然だが、決めるのは君だ。今晩、最終的に決めて、明日連絡をくれ。」といった話をしました。
1人は、他省庁に行きましたが、「ありがとうございます。今後とも霞が関に一員としてよろしくお願いします。」と、さわやかな電話をもらいました。少々、残念でしたが、選んでもらえる魅力が少なかったのだと思いました。他は、厚生労働省に入省し、今でも頑張って働いています。彼らが思ったような魅力があったかどうかは、わかりませんが、少なくとも、厚生労働省を選んでもらって、当時の面接官全員が喜んだことは間違いありません。
学生を選ぶのではなく、学生に選ばれる立場であると、面接官側が理解したことで、最終的には、面接チームの一体感が出てきたのだと思います。
最近、私の数少ない一次面接を受けて入省した男性から、当時のことを聞きました。
私は、面接に疲れてか「三つだけ、どんな質問にも答える。聞いてくれ。」と言ったようです。その言葉が「印象的で良かった。」とは言われましたが、面接官を、早々に、外れて正解・・と思います。