2014年2月7日
第3回目の新東京百景巡りは、秩父多摩甲斐国立公園の表玄関である御岳山(青梅市に所在)です。
この地は、天平8年(736)、行基が東国鎮護を祈願し蔵王権現の像を安置したと伝えられ、平安時代の延喜式にも記載が見られるなど、古くより関東の霊山として信仰されてきた地です。その後も、関東の修験の中心として有力な武将達の信仰を集め、延文4年(1359)には管領足利基氏による社殿修築が行われるなど、武家と所縁が強かった由。
関東に封ぜられた徳川家康の命で、社殿が南向きから東向きに改築され、これ以降江戸の西の護りとして重視されます。江戸時代、民衆の社寺詣でが盛んになると、御師によって講も組織され、「御嶽信仰」が武蔵・相模を中心に関東一円に拡がっていったとのことです。
現在は、山の麓からケーブルカーが走り、標高800m程度の御岳山駅から30分ほど散策をすると武蔵御嶽神社に辿り着きます。
本日は晴天でしたが、JR御嶽駅からケーブルカーに向かうバスの車窓から、数日前に降った雪が光ってみえます。ケーブルカーで上るにつれ、残雪は深まり、散策道は一部凍結している状況でした。
冬の道は歩きなれているとはいえ、今朝まで仕事の処理メールをうち、結局、睡眠時間3時間程度で家を出たせいもあり、上り坂が続く散策道に青息吐息。本日、51歳の誕生日。早速に老いを感じる結果になりました。
それに引き換え、同伴の家族は、いつも通りに元気に歩き、私は、飼い主に連れられた犬のように・・後をついていく感じに。
この山には、日本武尊の東征に由来する「おいぬ様」という信仰があるようで、犬連れの方が大勢いました。ケーブルカーも犬の料金設定があるなど、犬好きの方には結構有名なようですが、私も犬の料金にしてもらえば良かったか・と・思ったところで、大きな欅の木(写真)が見えてきました。
民家の敷地の一角、崖にへばりつくように生えており、表示板には、「神代ケヤキ」とあります。日本武尊の東征のときから、この地にあるとの記載ですが、さすがに神話の世界との関連は言いすぎでしょうが、それでも数百年以上は、この地にあることは間違いありません。
この周囲には数十軒ほどの民家、宿坊がありますが、聞くと江戸時代からとのことであり、この木とともに、周囲の歴史があるのかと思うと、何となく不思議な気がします。この木の下を通り御岳神社に向かった人を、何人見てきたのかわかりませんが、神代ケヤキには、私の状態はどう見えたでしょうか。
そこを過ぎて、しばらくで神社の鳥居が見えてきましたが、さらに続く急な階段に・・ギブアップを宣言。
昨年の四国金毘羅宮参り以来の途中挫折となりました。家族は、階段を登り切り江戸時代の拝殿で参拝をしたようですが、私は、そこから遠くに見える東京の市街地を眺めて休憩です。
その後、元来た道をゆっくりと歩き始めましたが、登りでは見逃した御岳山診療所という看板が見えてきました。週3回、1回数時間程度の診察時間のようでしたが、こうした地にも医療があるのは不思議な気がしたものの・・よく考えれば、数十軒も家があるのですから、少なくとも百人以上の住民が住んでいるはずですので、こうした仕組も必要かもしれません。
また、御岳山駅周辺で食事をした店主の方からも、「ここに住む子供は、7:30のケーブルカーで山を下り、バスでJR駅に移動、数駅先の小学校に通っている。」との話を聞き、不便なような便利なような・・
本当の田舎なら、交通手段はないも同然ですので、やはり東京なのだなと実感です。
家族は店主の方と楽しそうに話をしているのを聞きながら、スマホで途中で見た宿坊の宿泊代を見ていましたが、先月泊まった高野山と同水準のようです。
夏でも20度代の気温とのことですので、いずれこの地の宿坊に泊まるのも悪くはないかもしれません。
しかし、次は歩いて宿坊に辿り着く自信がありません。