2014年1月28日
約2年間の医療課での仕事を通じて、医療費をどのように管理していくかは、お役所だけでは限界があり、学者も含めた叡智を結集することが必要だと実感しました。当時は、診療報酬や薬価等に関わる学者も少なく、そもそも学者が育つ枠組みを作ることから始めようと考えました。
一方、当時は、MOSS(market-oriented sector-selective talks)協議と呼ばれる、日米間の分野別協議に医薬品や医療機器等もとりあげられ、保険局も米国に行って協議をすることが常態でしたが、そこでは、米国流のルールや手続きの透明性も重視されていました。ルールや手続きが不透明なことは、一種の非関税障壁という理解です。逆に言えば、ルールや手続きが透明であり、その運用が公平であれば、米国政府としては問題ない(内外無差別)ということです。
日米協議等の結果、医療機器が高くなったという意見もありますが、それは誤謬ではないかと思います。内外無差別のルール下では、外国の産業が力ある・・又は日本の医療機関の調達に問題があると考えるほうが妥当ではないかと・・
さて、こうした二つの視点から、まずは医薬品、医療機器保険導入・保険償還額決定のルールの透明化を行いました。今と比べると簡素なものでしたが、こうした文字化されたものがないと、産業界、諸外国との交渉もできませんし、また、学問の世界も生まれません。まずは、その基礎を作るという意識で、これに積極的に取り組みました。
次に、ルールが決められても、その運用には、どうしても不透明性がつきまといます。特に、医療課だけの運用では、関係者から「運用に問題がある」と批判されることは容易に予測できました。そこで、運用については、外部の複数の学者に関与してもらうことで、手続きの適正なことを担保することを考えました。それは、課室長の尽力で、薬価算定組織等の中医協の下部組織の設置として実現しました。
この組織には、運用チェックだけではなく、その学者群によるルールの改善の提案等を通じて、医療経済という学問領域を担う学者の成長の場としたいと意識し、将来、ここから中医協の公益委員等が生まれて欲しいと考えていました。当時は、医療関係と言えば、特定の学者しか名前が出てこない時代でしたので、ベースが広がることは切なる願いでした。
10年以上の時間を経て、今では、薬価算定ルールは当時の2、3倍の量になり、学者からなる中医協の下部組織も相当増え、医療費管理に関わる学者は何倍にも増えました。ルールが複雑になっている・・それも枝葉の部分ばかりで・・という実態はどうかと思いますが、医療費に関わる学者の数が増えていることは素直に喜んでいます。やっと学者も含めた叡智を結集して、医療費の問題を考える環境ができつつあるのだと。
これからは医療に関わる大量のデータを解析して地域別に対応を考えることが可能な時代になります。医療に関わる学者の方も、こうした取り組みを始めており、こうした展開が、厚生労働省の医療政策に、どう反映していくのか、また、既存のルールや組織の見直し、新たなルールの整備や新組織の設置へとつながり、成長していくのかが楽しみです。
ただ、こうした動きを促し、形にし、成果を出していくのは、これまでも、またこれからも行政の仕事であることは変わりません。また、こうしたアイデアを出して実現していくのは、私のような50歳過ぎの者には難しく、30歳代の課長補佐を中心とした世代の役割なのだと思います。
先日、医療課で一緒に働いた後輩から、「最近の課長や課長補佐は、局長や課長が何を考えているのかわからない・・とよく言う。」と聞きました。上司の意向を聞き、それに基づき行動するというパターンが増えているとう意味と理解しましたが、期待されるのは、課長補佐等が考え、それを課長、局長にぶつけて、理解を得て、上司を動かすということでしょう。
次代を担うのは、課長補佐クラスなのですから、こうあって欲しい考えます。
やっと増えた医療に関わる学者群と、課長補佐クラスがどのように付き合っていくのか。
お互いに切磋琢磨しながら成長していくことを、期待しながら見守りたいものです。