旅の楽しみ30:雪の高野山 宿坊に一泊する

2014年1月26日

本日、雪の舞い散る高野山の宿坊で一泊です。

 

昨日、和歌山市内で行われた和歌山県病院協会主催研修会での講演の事前調整の中で、協会の事務局の方から、冬の高野山は寒いが、冬でしか見られない景色があるとのお話を聞き、今回の日程に組み入れることとしました。

 

今回も東京からの移動は真っ直ぐに和歌山に向かうのではなく、名古屋から近鉄に乗り、途中、30年ぶりに長谷寺に寄ったり、当日の朝に富田林の伝統的建築物群保存地区を散策したり、古市古墳群(応神陵など)や百舌鳥古墳群(仁徳陵)の大きさを実感したりと、近畿圏の文化財、位置関係を体感しながらの和歌山入りとしました。趣味と実益を兼ねた一種のフィールドワークです。

 

また、講演までの空き時間も、和歌山の歴史と空気を感じて講演に入ろうかと、紀伊徳川家の居城和歌山城を歩き、和歌山県博物館を見たりしましたが、面白いことを発見しました。
講演資料として、自治体病院の経営について和歌山と福井で比較する資料を用意したのですが、博物館で、和歌山と福井の関連を見つけました。戦国時代、一向一揆が近畿、北陸地方で勢力を持っていましたが、いずれも8代蓮如が布教した地であり、近畿では和歌山根来が中心で石山本願寺の主力になっていったとの由。言われればそうなのですが、なぜ和歌山と福井を比較するのか・・という後付けの理由を見つけて一人笑いです。

 

講演後は、懇親会となりましたが、その後も遅くまで国立病院機構の院長、厚生労働省から出向している課長、病院協会の事務局の方と話をしましたが、私と、それぞれ別に関係のあった人が、和歌山の地で一緒に仕事をして良い人間関係ができているのを見ると、人のつながりとは面白いものだと思うとともに、これがどのように発展していくかと期待したところです。

 

さて、本日は単線のJR和歌山線で、「居眠り磐音 江戸草子」(佐伯泰英著)という歴史小説に出てくる粉河、根来といった地名を見ながら、橋本まで移動し、南海高野線で高野山入りです。

この小説では、主人公磐音と田沼意次の暗闘の中で、和歌山が舞台になる時期がありますが、その中で、高野山は重要な場所です。冬の景色も描かれており、そうした雰囲気をイメージしての高野山ですが、昨日までは暖かい天気で少々諦めモードに・・しかしケーブルカーに乗る頃には10日ほど前の残雪が見え始め、4千人ほどが住む市街地に広がる寺院の屋根にも雪が残っていました。

 

最初に奥の院へ回り、帰りの参道で約20万基の墓所の中から結城秀康(福井藩の初代)の墓などを見て歩いていた頃に、雨が降り始め、本日の宿、不動院に投宿した頃には霙模様に。重い荷物を宿に置いて、大門、檀上伽藍を回り、金剛峰寺に着く頃には本格的な雪に変わりました。
雪自体は、福井で見慣れていますが、大きな寺院の屋根や境内が数分で白く染まっていくのを見るのも、良いものです。何やら、汚れて煤けた自分を清潔なもので隠してくれるような気もします。
金剛峰寺の庭もあっという間に雪で白一緒になり、その中に庭石が浮かぶ景色(写真)も、初めてのものです。

 

二大密教の中心地、真言宗高野山、天台宗比叡山(20歳台の頃に大津に住んでました)を比較すると、比叡山では修行は山、生活の場は里坊と呼ばれる山の麓の坂本に分離していますが、高野山では修行と生活の場が渾然一体となっており、印象が大きく異なります。いずれも良いものですが、坂本でも里坊に泊まれるのか・・確認してみる気になりました。

 

明日朝は氷点下8度の予報の中、朝の読経に列席する予定です。

修行とまでは言えませんが、もう少し心が洗われるでしょうか・・

それよりも7時前に起きられるかという点が心配です。