2014年1月8日
診療報酬改定率も決まり予算編成が終了して、新年1月から診療報酬改定の第2ラウンド=改定内容の確定の作業が本格化しました。
そのため、法令は係長以下のほとんどが、診療報酬改定用の作業部屋(タコ部屋)に籠り始めました。例年、タコ部屋の中心は、法令係長です。
作業的には、医療課に残った補佐が中医協の議論を踏まえて方針を決め、それに基づきタコ部屋が作業をする流れであり、また、技術系が内容を決めて財政試算をし、法令が告示等にするという役割分担です。
さて、大まかな改定内容が決まってきた2月に、タコ部屋のメンバーの慰労のために「表敬訪問」をして、新設する予定であった入院基本料の進捗を確認したところ、どうも現場がうまく回っていないことに気づきました。黄信号の点滅状態です。
入院基本料の構成等を、法令の担当に説明を求めたところ、どうもしっくりきません。私の理解とは違う内容だったからです。「誰に聞いて作った」と担当に聞くと、「医系技官の○○さん」と答えたので、「看護の○○さんに聞いてみろ」と目の前で説明を求めると、私の理解通りの説明をしました。作業部屋の各担当の連携が悪く、法令側で、うまく情報が集約できずに、作業が停滞していたり、無駄な作業を繰り返している状態がわかりました。
2000年度の改定は、今あるものを変えるという通常の改定方式としても、手術料の全面見直し(約2千項目)といった桁違いの多さであり、また、入院基本料、短期滞在手術基本料などの新機軸も大量にありましたので、このままでは「間に合わない」と判断して、タコ部屋に常駐することにしました。中医協自体は、大枠も決まり、その後の進行管理は、財務省から出向中の補佐に任せて大丈夫という判断ができたことも幸いでした。
作業部屋に居座り、基本料の区分(一般、療養、精神等)、要素(人員配置、平均在院日数等)などを表形式で決めていき、基本料別に算定可能な加算を決める段階で、また面白いことが起きました。薄々は気づいていたのですが、従前の体系下で、担当により加算がとれる・とれないの判断が違っていたことが顕在化したのです。外部から問い合わせがあると、電話に出た者の違いで、回答結果が違うという状態であったということです。
そこで、既存・新設の基本料加算の全てを、基本料別に算定可能かどうかの表を作成することにしましたが、これを完成するだけで1週間かかりました。加算の一つひとつを各担当に認識を確認する作業を横目で見ていましたが、思わず笑いそうになりました。あまりに認識が違っていたからです。
しかし、自らは介入せず、他の作業をしながら、じっと見守っていました。職種の違う担当者が、一つの表を完成させるために意見交換をすることで、意識の共有化が図られ、改定作業後の施行の段階で、間違いのない説明ができるはずと考えたからです。
その結果、タコ部屋に入って2週間ほどして、やっと基本料の体系が決まりました。できあがった表は、非常に簡素でわかりやすく、美しく整理されたものであり、人によって認識が違うようなことは、起きないと考えられるものでした。
次は、その表を条文にするという法令の作業の段階ですが、既に日程的に遅れていましたので、自ら、一般病棟入院基本料を例に条文を書き、それを担当に渡して、基本料別にコピーしてもらう手順とし、やっと法令らしい機械的な作業の段階になりました。
しかし、老人診療報酬(当時は、まだ、この仕組みが残っていました)側の作業責任者であった老人保健課法令係長の親族が亡くなり、急遽、葬儀に行くということで、老人の基本料の作業する者がいなくなるという事態が生じました。医療課の法令は既にオーバーフローでしたので、私が老人保健課の法令係長に代わって告示を作成することに・・時間がなければ、上司も部下もないということです。
さて、最終的に告示として公布にする際に、本来であれば、改正する必要のある部分だけを抜き出して変更するという細かな作業が必要なのですが、既に時間を過ぎていたので、大臣官房総務課審査係(法令審査等を担当するセクション)に協議して、全部改正という形式で出す(それでも数百枚の分量でしたが)ことになりました。今では普通でしょうが、当時としては、異例なことでした。
当時の審査係長から、「遅れたことについて謝罪文を出せ」と詰め寄られ、困り抜いた担当は、恐る恐る私に相談に来ましたが、「それで作業が進むならお安いもの」と私の署名捺印入りで謝罪文を提出しました。
絶対ダメと言われると思っていた担当はホッとし、審査係長は私から「謝罪文をとった!」と喜んでいたようですが、その審査係長の様子を聞き、彼の採用担当者だった私は、「困った奴」と苦笑いするしかありませんでした。
逆の立場なら、私も同じことをしたかもしれませんが・・