旅の楽しみ26:新東京百景(多摩地区)を巡る~大國魂神社 

2013年11月20日

今回から、「新東京百景(多摩地区)を巡る」という企画で、東京多摩地区にある30か所以上の名所を、順次、巡ることにしました。

 

かつて、浮世絵師の歌川広重が安政3年(1856年)に「名所江戸百景」という連作の名所絵を出しましたが、それから約120年以上を経て、東京都が都民から公募する形で、都市や自然の景観、名所や旧跡といった都内の景勝地を、「新東京百景」として選定しました。

前回、江戸散策として家族で行った高尾山は、実は、この新東京百景の多摩地区のリストの筆頭(57番)であることを最近知りました。この新東京百景のリストをみると、区部の名所は、結構、行ったこともありますが、多摩地区の33か所の名所には、聞いたこともない所もあります。そこで、家族と相談して、この多摩地区のリストにより、順次、名所・旧跡巡りをすることにしました。

 

さて、今回は、「普済寺」と「大國魂神社」です。

普済(ふさい)寺は、立川市柴崎町にある臨済宗建長寺派の寺院です。この場所は、鎌倉時代から室町次代にかけて武蔵七党(武蔵国を中心として下野、上野、相模といった近隣諸国にまで勢力を伸ばしていた武士団の総称)の一族である立河氏の居館があったところと伝えられています。

快晴の中、立川駅からモノレールに一駅乗って徒歩で住宅地を10分ほど歩いたところに、普済寺はありました。

歴史のある本堂などを期待していましたが、風情のある門以外は、なんとなく最近の建物に見えます。表示を見ると、1995年に、本堂や重要文化財の坐像は火事で焼失したとの由。残念ながら、新東京百景に選ばれた当時の景色は見ることはできませんでした。

それでも、新本堂裏にある国宝の「六面石幢」を見に行くと、高台にある寺から、中央線越しに富士山が望めます。きっと、昔の本堂のままであれば、風情のある景色であったろうと感じるものはありました。

 

立川から府中本町に向かい、次は、「大國魂神社」に参拝です。

「府中」の市名はかつて武蔵国の国府があったことに由来しますが、その国府は、この大國魂(おおくにたま)神社の境内地に所在していたとのことです。この神社には、源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝祈願をした、また源頼朝が妻の安産祈願をしたといった伝承があるなど、源氏に所縁があります。そのためか、1590年(天祥8年)8月に、徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社として社領500石が寄進されて社殿及びその他の造営が行われています。

駅から数分歩いて参拝すると、幟や提灯が出ていたり、屋台の出ていた跡があったりと、お祭りの後のようです(写真)。ちょうど、今月11月は、この神社の末社である大鷲神社 (おおとりじんじゃ)で酉の市が開催される月(今年は3日、15日、27日が予定日)であり、このことが、お祭り気分を高めるのでしょうか。

参道から続く欅並木も、季節によっては、よい散歩道になりそうでした。旧甲州街道を歩くと江戸時代の高札場跡もあったりと、江戸らしい雰囲気も少しは残っていました。

 

しかし、今回最も印象が残ったのは、立川駅の百貨店内で昼食をとった店でした。

小さな子供を連れた若いお母さんが、テーブル・椅子ではなく、ベッドが並んでいるような雰囲気の場所で、子供を遊ばせながら食事をする風景でした。

新東京百景が選ばれた約20年前には、見ることができない景色だったでしょうが、集客に知恵を絞る百貨店、飲食店の様子が見て取れる現代的な風景が面白く感じました。

東京とは、古いものと新しいものが共存する面白い所です。