Episode68 「1年間の仕事も 日々の行動計画づくりから」

2013年11月18日

1999年4月から中医協の審議が始まりました。
忙しい委員、専門委員の方ですから、まず毎週1回の審議日を決めて、その日に小委員会、部会~必要なら総会も行う日程を組みました。

 

一つの小委員会、二つの部会を回すのですから、3週間ごとに同じ会が行われますので、一定の仕事のペースメーカーになります。また、それぞれの会に関わる医療課関係者は重複しないように構成することで、1年間の長い作業期間で、特定の人に負担がかからないような枠組みを作ることにもなりました。
進行管理から言えば、審議日の1週間前には資料確定し中医協委員に事前説明、資料確定の1週間前には局内の会議で資料案を説明、局内説明の1週間前には課内で資料の打ち合わせ(第1回目)といったことが、繰り返しになります。同じ会は3週間に1回ですので、審議が終わった日に、3週間後の次の審議の資料の打ち合わせを医療課でしているという状況でした。

 

このペースが決まると、次は数か月先までの審議する事項を決めることが求められました。各現場の責任者から、「3週間ごとの繰り返しだけでは厳しい。もっと先までのテーマが見えていれば、前倒しで準備ができる。」という要請に応えてのものです。前々回のコラムでも書いたように、出版は目次が決まれば完成度80%ですが、同じように審議会も議題が決まれば完成度80%と言えます。どのような議論の構成をとるか・・出来上がりをイメージしてのテーマ設定となりますが、同世代の課長補佐の深夜の打ち合わせで、何とか原案を作ることができました。
あとは、この枠組みを動かすのが、「現場監督」としての私の仕事です。

 

まず、医療課での最初の打ち合わせ(審議会の当日又は翌日が定例でした)に臨むチームの課長補佐の進行状況を確認し、時にはどやしつけ、時には相談に乗るといったことを繰り返しました。概ね、どやしつけるのは午後、相談は夕刻から夜にかけて・・でした。
深夜に入ると、医療課での打ち合わせを終えて局内での会議に臨むチームの修正状況等を資料で確認し、どう説明するかを考えていました。局長室での会議は、基本的に私が説明するようにしていたからです。特に意図はありませんでしたが、結果的には、自分で説明するという立場で資料を考えるようになり、自分の理解が深まるとともに、対外的に説明する際の課題も事前に整理されるという良い効果を生みました。
未明に興が乗ると、明日の局長室でどう説明するか・・「きっと○○審議官は、こう反応するので、こう回答する」といったシミュレーション話を、残っていた人を相手に話をしていました。翌日、会議に臨むと、話をした手前、昨晩の解説通りに話をするのですが、予想通りの反応を幹部がすると、本席ではなく、後ろで聞いている医療課メンバーからは、クスクスと笑い声が聞こえるようなこともありました。

 

一連の最後の仕上げは、対外的な事前説明と審議会です。最初は、私も課長の事前説明に同行したり、中医協を傍聴していましたが、私の仕事の密度が高まるにつれ、説明中や審議中に次の仕事を考えたりするなど、あまり同行や傍聴に意味を感じなくなり、途中から、参加しないようになりました。事前説明や審議会自体は、課長・室長等の仕事であり、私の仕事は、それに向けた準備を完成させることと割り切りました。
特に、各チームは、3週間の期間で段階的に仕事が進むのを見ているだけですが、私だけは、全てのチームを同時に見て、日々、時間単位で違う仕事をすることになります。そのため、毎日、自分自身で時間管理をして、何をするかを決めて行かないと、正直、何が何だかわからなくなるような感じが続きました。
普段は何もしませんが、その時ばかりは、私の机の上に、その日何をするかを書いたメモが張られていました。昨晩のうちに何をするかを考えて書いたものでしたが、こうした毎日の積み重ねが、1年後の成果につながったと今は思います。

 

1年という長い期間と毎日という短い時間という双方の時間管理がうまくいった事例です。

ただし、同窓会が継続するような、高い意識のメンバーが集まっていた結果であることは言うまでもありません。