Episode67 「意見交換はオープンに それが成長を生む」

2013年11月8日

1998年度は医療保険福祉審議会の議論が中心でしたが、1999年度からは中央社会保険医療協議会にその場は移りました。中央社会保険医療協議会は、通称、中医協と呼ばれ、米国では医療政策関係者に「CHUIKYO」で通じます。

 

この中医協は、保険者側(費用負担側)、診療側(サービス提供側)と公益代表(中立)という三者で構成され、医療保険制度におけるサービスや医薬品の保険償還額を合議により決める場です。最終的には、厚生労働大臣が保険償還額を告示しますが、これまで中医協に反した行動をとったことはありません。いわば制度運営者による自律的な意思決定機関です。このため、医薬品や医療機器等の保険導入を期待する国内産業界はもとより、米国・欧州の産業界も注目する組織となっています。

 

当時は、現在のように、薬価算定のルールや医療機器の保険導入ルールが明示されておらず、ルールがあってもその通りに運用されていませんでしたので、産業界からは様々な要請が、産業振興を担当する課を通じて医療課に届けられていました。例えば、ある医療機器について、ある人が「高い」という理由で保険導入に反対し、予定の時期を数か月も遅れているのに、先が見えないという事例も生じているなど、特に、対外関係では一触即発の状態でした。
産業界の主張も、「勝手なことを言っている」と思うものから、「確かに問題だな」と思うものまで、玉石混交でしたが、いずれにしても中医協での議論を経ずに決着することは難しいと思うものが、ほとんどでした。

しかし、役所側が認めないと思っているものを一方的に中医協で説明しても産業界は納得しませんし、また、役所側が認めても良いと思っているものを中医協で説明しても、保険者側や診療側は、「なぜ、役所は産業界の味方をするのか」と、問い詰められることは容易に予想できました。中医協は公開で運営されることが決まっていたからです。

 

そこで、医療課長に、「産業界の代表を専門委員として中医協に参加させてはどうか」「その議論を専門的に進める場として、薬価と医療機器等の部会を設けてはどうか」と二つ提案をしました。その心は、最終決定を行う委員そのものにはできなくても、医療に深くかかわる産業界の意見を中医協に直接反映してみたい・・という積極的な意味と、中医協と産業界の板挟みに役所が置かれて苦しい調整をするには避けたい・・という消極的な意味の二つでした。
並行して、中国赴任前から人間関係ができていた医薬品業界の方に、内々に意見を聞いてみました。

一も二もなく賛成かと思いましたが、「一方的に非難されるのではないか」という慎重な意見も結構あり、正直驚きました。理由は詳しくは聞きませんでしたが、過去、企業の薬価担当の役割は、水面下で役所と協議をすることであり、表舞台で堂々と主張するという経験が乏しかったことが範囲しているのか・・と私は判断し、逆に、将来のために、この提案を実現したいと、強く考えるようになりました。
一企業の利害だけではなく、産業界全体、医療保険全体のことを考える人が一人でも増えれば、将来の日本に役に立つと、保険局の幹部に、専門委員・部会の設置の必要性を私自身で働きかけました。幹部の方が、中医協の関係者に、どのように働きかけたかはわかりませんが、きっと、種々の反対もあったと思います。しかし、現在につながる専門委員・部会が設置されることになり、2000年度改定に向けた薬価や医療機器等の議論をする枠組みが出来上がりました。

 

それから10年を経た2010年度改定で、薬価専門部会の議論を経て、新薬創出等加算が試行的に始まりました。この案は、産業界側が提案したもので、その位置づけにはいろいろと説明がありますが、個人的には、日本型参照価格制度の目指した価格カーブを実現する一手段として捉えました。
部会設置の当時は、参加自体に消極的な面もあった産業界が、部会という表舞台での議論を経て、自らの案を実現したことを、個人的にも素直に喜びました。一企業の利害を離れ、産業界や医療保険のことを考える人が増えたという実感とともに。

 

これからも、彼らが、日本の将来を支える一員として活躍することを期待しています。