Episode66 「短期集中で報告書案作成 最後は自分の考えと言葉」

2013年10月28日

拙著やHPで、結構な分量のものを書き続けていますが、この背景には、数多くの審議会、検討会の報告書案を書いてきた経験が活きています。

前回のコラムで記載した医療保険福祉審議会制度企画部会の「薬剤給付のあり方について」の報告書は1月7日に公表されましたが、それと同時並行で進めていた「診療報酬体系見直し作業委員会」の報告書の公表は、その一週間後の1月13日でした。
1998年の年末は、これらの報告書の原案を作成し、委員の方との調整を進める期間でした。審議会、検討会の報告書は、委員の中から数名の起草委員を選定して、そのメンバーで報告書案を作成するという方法もありますが、その時は、時間も限られており、また関係者の利害も対立していることから、原案を事務局(行政側)が書き、それを基本に、委員の意見等を反映するという手順をとりました。

 

この方法は、一人が原案を書くことから、全体の論旨が明確になり、また、特定の部分にこだわりも少ないことから、バランスがよくなるという特徴がある一方で、原案を書く者の能力が問われます。書くべき内容の背景・状況を理解しているか、それを踏まえて課題等を整理できるか、一定の利害を前提に解決策を提示できるか・・といったことです。その時は、原案は私が書くことになりましたが、二つの報告書それぞれを数日で書き上げたことを記憶しています。

書き始める前に、頭の中で書くべき事項等を整理して、最初に構成(目次)と各事項の主題を書いてから、本文に着手です。後に、出版社の方に、「目次ができれば、本は、ほぼできたのも同じ」と聞くことがありましたが、当時は、結果的に、それと同じことを行っていたようです。

 

私は、一旦始めると、終わるまで集中してやり続ける性格ですので、書き始めてからは、他の仕事は全て遮断し、数日は役所に泊まり・・といった状況でした。しかし、不勉強なこと、意識の低いことは、どうしても内容が薄くなります。診療報酬体系見直し作業委員会の報告書を見ると、当時の私の状況を反映して、精神科、歯科の内容は薄いと感じます。精神科については、その後、障碍保健福祉部で関わることになりますが、当時は、忙しさと関心のなさから、明らかに先送りした感があります。もっと、関心を持てば、具体的なことに踏み込めたかもしれません。
一方、回復期のリハビリテーションについては、内部ではいろいろ議論はありましたが、病院の機能分化としては必須なものとして、個人的に想いを込めて書いています。チーム医療もそれと同様ですが、こうした目で、過去の報告書を再度見ると面白いものです。

 

それから3か月後に、この作業委員会報告書を元に議論を継続した医療保険福祉審議会制度企画部会の「診療報酬体系のあり方について」という報告書の原案を作成することになりましたが、ここで学者である部会長から、1対1で内容のチェックを受けました。雰囲気としては、研究論文案を教授に説明して、内容、形式等の指導を受けるといったものでしょうか。

報告書の出来上がりは、薬価と異なり問題の範囲が大きいこと等もありましたが、部会長のチェックもあって学問的な色彩も強くなり、マスコミ等には、あまり評判は良くなかったようです。
しかし、個人的には、過去の報告書の原案作成をしたものの中で、最も記憶に残っています。その後も、障碍保健福祉部で同時期に3本の検討会報告書の原案を書くことがありましたが、その時の経験が活きました。明らかに、あの部会長との厳しい時間が、今の基礎になっています。

 

さて、原案を書いても、そのまま委員に認められる訳ではありません。私以外の方が、原案(もちろん局の幹部のチェックを終えたもの)を持って説明に行くのですが、文言の修正で終わる人、特定の問題に徹底的に反対する人など様々です。こうした意見を本文に反映する、少数意見として記載する、反対意見を記載するなどと仕分けをしていきます。前回のコラムの報告書(薬剤給付のあり方について)の2人の反対意見は、この過程で明記されたものです。
この調整のさなか、保険局とは別の局の課長が、報告書案を変更しろと意見を言ってきました。担当業務の都合上、ある記載が問題だということでした。最初は、話を聞いていましたが、疲れもあって徐々に腹が立ってきました。

「この記載は、審議会の委員の意見を記載している。それほど記載が問題なら、委員の了解をとって来い・・」と声を荒げてしまいました。外部の人との調整もせずに、文句だけを言うという姿勢(に見えたの)が、許せなかったのだと思います。
その場は、私の上司の室長が仲裁に入り、その後は、担当課長が審議会委員の了解を得て修正され、事なきを得ました。ちなみに、その方は、私の大津市出向にお世話になった方でした・・

 

その後、指導を受けた部会長とは、個人的にも親しく話をするようになり、その方の本業の研究所にて出向形式で働きたいと申し出たことがあります。部会長は、厚労省の人事課に話をしていただいたようですが、全く相手にされなかったようです。
あの時、研究所で、数年働いていれば、今の私はどうなっていたのでしょう・・

別の面白さのある人生だったことでしょうか。

 

 

診療報酬体系見直し作業委員会(報告書)