Episode65 「制度を作ることが目的ではない 大事なのは狙い」

2013年10月18日

1998年は、表舞台では「21 世紀の国民医療(与党医療保険制度改革協議会)」が示した医薬品の保険償還額を決める新たな制度=日本型参照価格制度の議論が中心でした。この参照価格制度は、ドイツで採用された仕組みですが、それを日本の医薬品市場の特性に応じて改変して、日本でも制度化できないかという問題設定です。

 

当時、この参照価格制度を日本に導入するかどうかについては、産業界も医療界も、そして役所側も、消極的又は否定的な状況でした。したがって、典型的な「役所らしい」仕事の進め方として、できない理由を数多く並べた上で、結論としては、「この制度の導入は日本に馴染まない」というもので良かったのですが、一方では、せっかく政治側から出された提案を、役所側が単に否定するのでは、役所の存在意義が問われます。

また、個人的にも、従来の薬価基準制度の何が問題なのかを明確にするには、よい機会と考えて、「実施するとすれば・・」という前提で、今の何が問題で、それを解決する方法は何かを詰めて考えることにしました。

 

医療課内部での薬系技官との議論、製薬企業の開発・販売戦略に関するヒアリング、審議会での議論を繰り返しながら、1998年の年末には、「薬剤定価・給付基準額制」と名付けた新たな制度案を公表することになりました。それまでは、薬価差(保険償還額と医療機関の医薬品調達額の差額)の存在を過大視して、医療機関の実際の購入額を基本に考えてきたことから、実務上の問題で制度化は難しいと誰しも思っていましたが、新しい制度案の公表で、俄然、制度化の実現性が高まりました。
この頃、外資系の製薬企業団体が某コンサルタント会社に委託していた、新たな医薬品の保険償還額を決める制度案も公表されましたが、億単位の費用をかけたと言われるわりには、実現性も乏しく、合理性もないものでした。私を含む、口の悪い何人かは、「あれで億単位の金がもらえるのなら、我々に委託してくれれば1千万で作るのに」と批評していました。それほど、役所側は「詰めて」考えていたということです。

 

さて、「薬剤定価・給付基準額制」が真に狙いとしたことは、医薬品の使用の適正化(多剤投与の削減など)、同等の効果があればより安価な薬剤の使用を促進(後発品の使用促進など)、有用性の高い薬剤の研究開発の促進と産業の育成(保険償還額の価格カーブの変更など)といった、翌年1月の審議会の報告書「薬剤給付のあり方について」にも記載したことでした。
具体的には、医薬品を薬効・薬理作用でグループ化し、患者が医薬品の分類、質、効果、副作用、価格等に関する情報を得られるようにするという情報基盤を整える一方で、今の制度を新たな制度に変更するというものですが、考えてみれば、この目的、日本型参照価格制度でなくても、薬価基準制度を見直すことでも十分に対応できるものでした。また、新制度にすることに伴い、製薬企業、医薬品卸の経営行動が、どう変わるかも不透明な部分もあり、個人的には、新制度への切り替えはリスクが高いと考えていました。

 

そのため、年末に「薬剤定価・給付基準額制」を公表した段階では、この案を、どのように「潰すか」・・その狙いを実現するために薬価基準制度で何をするかを、既に具体的に考えていました。この発想で、審議会の報告書の原案を書き始めましたが、こうした視線で見ると、報告書も違って見えるから不思議なものです。

最終的に、審議会では、医療団体の代表の方と経済学者1名の方の強い反対があって、意見書を一本化することはできず・・・その後、与党での検討へと「場」は移りましたが、年度末に出た結果は、「参照価格は導入せず、既存の薬価基準制度の見直しを進める」とのものでした。

政治が提案したものを政治が潰し、1年の検討で見直すべき狙いは明確になり、新年度の本格的な検討体制は整いました。一方では、外資系の製薬企業団体の幹部が、参照価格導入見送りの決定による「多額のボーナス」を貰ったとも聞こえてきましたが、苦笑するばかりでした。

 

あれから10年以上を経ましたが、当時の報告書の狙いとしたことは、概ね実現できている(今でも議論しているものがありますが・・)と考えられ、当時の判断は、今のところ間違っていなかったと思います。

しかし、薬価基準制度のルールが細かくなるばかりで、新たな大きな方針が、お役所から出てこないのが、少し心配に感じるところです。

次は、何を目指すべきなのでしょうか。

 

薬剤給付のあり方について(審議会報告)