旅の楽しみ25:雨模様の中、高尾山を家族で歩く(江戸散策13) 

2013年10月3日

今回の江戸散策は、中学生の長男を除く家族4人で、高尾山薬王院に行きました。

 

本日は、朝起きると、東京の自宅周辺は、台風の影響もあり強い雨。個人的には、無理かなと思いましたが、配偶者が現地の天気を確認すると、東京の東部とは異なり、小雨程度とのこと。配偶者の決断で、昨晩から実家に止まっていた次女と3人で家を出ることになりました。

久しぶりに通勤時間帯の東京の電車に乗りましたが、やはり嫌なものです。お役所時代に、毎日、電車で通っていたことが、今では自分でも信じられません。家族は、特に苦ではないようですが、スタート時点で、既に、私は疲れ気味です。

 

中央線沿線に住む長女とも合流し、昼前には、高尾山の麓に到着です。既に雨も上がり、薄日も射し始めてきましたが、迷うことなく、ケーブルカーに乗ることを選択し、日本一の斜度の斜面を登り始めました。

高尾山薬王院は、東京都八王子市の高尾山にある真言宗智山派の関東三大本山の一つです。他の二つの川崎大師平間寺と成田山新勝寺には、かつて参拝したことがありますので、これで全てに参ることになります。この薬王院には、徳川幕府第8代将軍吉宗がその職に就いた享保元年(1716年)を契機に、徳川家からの書状が増え始め、今でも古文書として残っているようです。享保の改革を進めるに当り、薬王院の本尊である飯縄大権現のご加護が期待されたとの由。現代の改革も、こうした神仏の加護を祈ることで、人の弱さ、愚かさを自覚することも必要なのかもしれません。

 

さて、ケーブルカーの終着点から、だらだらと続く上り坂の傍には、京王電鉄と書かれた灯篭と、樹齢数百年を超えると思われる大杉が並んでいます。

本来、宗教施設に、同一企業の灯篭が並ぶのは不思議な気がしますが、先に乗ったケーブルカーの経営会社の主要株主には、京王電鉄や薬王院が含まれているのをみると、この高尾山全体が、鉄道と遊園地がセットとなった近代のビジネスモデルと同じようなものなのでしょう。

それでも大杉は見事なものです。その一本は、その根の部分が蛸に似ていることから、「蛸杉」という名前がつけられ、その杉の横には、「ひっぱり蛸」という石像(写真)が置かれています。場違いな気もしますが、テーマパークと考えれば、おかしくはないのかもしれません。その後の薬王院の中にも、蛸の形をした「置くとパス(オクトパス)」というものが置かれていました。こうした駄洒落は、江戸の文化の継承なのでしょう。

 

約20分ほど歩いて、享保14年(1729年)に建立された権現堂に到着です。薬王院の中心となる本社で、飯縄権現を祀る社殿(神社)ですが、寺院の中にある神社という形態は神仏分離以前の一つの典型例と言われているようです。不思議な建物ですが、落ち着いたよい雰囲気です。

私と長女は、ここでギブアップ。配偶者と次女は、さらに頂上へと向かうことに。いつも旅行に出ると、この怠け者グループと元気な者グループに分かれます。怠け者グループが待つこと約30分。私と長女は、近くの茶店の中で、少々、不謹慎かと思いながらも、生ビールを飲みながら時間調整です。

来年から外国で暮らすと思われる長女と、こうして話す機会も、どれほどあることでしょうか・・。

 

頂上から戻ってきた二人と一緒に食事を終えて、来た道を戻り、ケーブルカーで下山です。京王線で高幡不動尊に立ち寄った後、新宿に向かいましたが、その車中、綺麗な虹を見ることができました。

ただ、すっかり疲れた私は、電車の中で眠りこけ・・寝ぼけた頭で夕刻からの仕事に向かうことになりました。