2013年9月28日
2000年に医薬局に異動した直後、ある訴訟に関し、国会で集中して審議されることがありました。
その訴訟は、後日、薬害ヤコブ病と呼ばれる訴訟で、生物由来製品のヒト乾燥硬膜(死者の脳から硬膜を摘出し製品化したもので脳外科手術の縫合の際に使っていた。)によってクロイツフェルト・ヤコブ病を発症したとして、輸入販売業者と国を被告として、全国で提起されていました。
当然のことながら、異動したばかりの私には、その問題は初めて聞く話ばかりでしたが、当時の政策調整委員の役回りとしては、内容よりは、一晩で100問を超える答弁資料をいかに効率的に作成するかということばかりに意識が向いていました。
因みに、この製品は、ドイツからの輸入品で、1970年代に日本で販売を承認され、世界保健機関(WHO)が使用禁止措置を発する1997年まで、約20年間、脳外科の現場で使用され続けていました。しかし、製造元の会社の製造過程における杜撰な管理から、クロイツフェルト・ヤコブ病が高い頻度で発症しているのではないかと、欧米では1980年代後半に異変を察知してヒト乾燥硬膜を使用禁止としていましたが、日本では、この対策が遅れたという点が訴訟のポイントと考えられました。1980年代以降は、国の対応が遅れたと言わざるを得ないと個人的には考えていましたが、それ以前は、法律に基づく責任論としては無理筋と思っていました。
さて、この問題に関する国会質疑は、最終的には裁判所が決めるという前提で、被告としての立場で、主張している事実関係を丁寧に説明すれば大丈夫と考えていましたが、結果から言えば甘い考え=過信でした。
国会質疑の当日、朝までかかって、何とか100問を超える答弁資料の作成を終えましたが、当日の質疑の模様を見て愕然としました。
弁護士でもある国会議員が、まるで裁判での弁論のように、担当局長に対し、「○○の事実はイエスですかノーですか」と、単純には答えられない事実関係を二者択一で質問を始めました。「しまった・・」と思いましたが、後の祭りです。どう見ても、弁護士に問い詰められて回答に窮し、言い訳を繰り返しているような雰囲気になってしまっていました。
その時になって、原告団と国会議員が連携して、通常の法的な責任論では救済できない、製品の承認時から欧米の対策がなされるまでの間 約10年間の移植者も救済しようとしていることに気づきました。当初の承認が杜撰であったという法律論としては無理筋の主張を政府が国会で認めれば、判決では救済できない人も、和解という形式では全ての人を救済できる・・という方針にもっと早く気づけば、別の準備があったはずです。
移植を受けて想像もしない疾病にかかり数年で死亡することは、本人、家族の気持ちを考えると誠にお気の毒とは思いますが、その感情と税金で賄う補償を法律的には責任のない人まで対象にすることは、やはり別の問題(別の形式で救済すべきもの)・・と当時は個人的に考えていました。
しかし、結局は2001年から順次、全員を対象とする和解を進めることになりました。その後も大型の薬害訴訟と言われる案件が続きましたが、いずれも提訴・国会質疑・マスコミ報道を経て、裁判上での主張も少ないままに和解・・というパターンが繰り返されています。いずれも国が責任を負うべき時期(科学的な知見が明らかになった段階)を明確にすることなく終結しており、裁判所も和解を当然と考えているように見えます・・。
こうした報道を見るたびに、当時の自分の見込みの甘さを思い出します。
どうやっても結果は同じだったかもしれませんが・・自ら学ぶことの多い過去です。