2013年8月18日
2011年1月に厚生省と労働省が統合、厚生労働省として発足しました。
この段階では、私は、統合とは無縁の局にいましたので、名称変更等の軽微な変更しかなく、統合された部局の状況、苦労などを気にすることもありませんでした。統合により、元々二つあった組織が一つになったのは、雇用均等・児童家庭局のほかは、人事課、総務課、会計課、国際課等から構成される大臣官房でしたが、統合前から、旧厚生省と旧労働省の双方で、どのような組織体制を作っていくかを調整していましたし、私の旧厚生、旧労働の同期は、統合前から、結構、仲良く飲んだりしていたので、統合後も、それなりにうまく行くものと軽く考えていましたが・・。
統合後、半年を経て、統合部局の一つである大臣官房国際課に異動することになりました。私が着任したポストは、一応、総括補佐と呼ばれる人事、予算を担当する補佐でしたので、国際課の担当している業務、役割等の全体を聞いていきましたが、驚くことが続きました。
まず就任初日、座った席は、窓際の端っこの陽当たりの良い席なのですが、担当すべき総務・経理の皆さんが座る場所から離れており、また、総括審議官や国際課長の動きも見えない業務的には不便で非効率的な場所にあるので、その理由を聞いたところ、「統合前に席の配置で揉めた結果です。」との回答に「?」。
次に、総務・経理の仕事の分担を聞いたところ、総務系は、班長が旧厚生、係長は旧労働で、それぞれ独立して労務管理を実施し、経理系では、補佐が旧労働、係長は旧厚生で、やはり旧厚生と旧労働で別に業務を行うなど、完全に業務は二元化し、総務全体、経理全体を見ている人がいない状況に「??」。
また、他の班、室の業務を聞いても、旧厚生と旧労働の仕事のラインは完全に分離していて、それぞれの仕事のやり方に固執して、あちこちで旧厚生と旧労働の軋轢を起こしている状況を把握して「???」。
最後に、当時、国際課長が旧労働、国際課内の国際企画室長が旧厚生の出身だったのですが、次の人事異動で、仮に課長が旧厚生、室長が旧労働になると、国際課(国際企画室含む)の組織規定を見直すと、統合前に合意していると聞いて「????」。
特に、最後の件は、組織があっての人事異動ですので、人事異動で組織を変えること自体が本末転倒なのですが、そもそも人事異動の内示があってから異動まで通常は1週間、その間に省令改正などできるわけもなく、物理的にもあり得ないことを合意していたのです・・・それほど、事前調整は、双方疑心暗鬼でギスギスしていたのだろうと想像でき、私の仕事は、在任中に、できるだけ、こうした非合理的なものを解消することと理解しました。
しかし、既に、このスタイルで半年動いていましたので、急に「変える」と言っても賛同する人がいるわけもありません。そこで、まずは味方作りを進めつつ、小さな成功を積み重ね、最終的に人事異動に左右されない省令とすると方針を決めて行動を始めました。
国際課の幹部や旧厚生・旧労働の係長とのゴルフ(平日休暇をとって行ったら法令係長に怒られましたが・・)や各係・室との飲み会を通じての人間関係づくりを重ねる一方で、面倒な仕事を引き受けて「貸し借り」を作ったり、当時課内にあった「喫煙所」で仕事の段取りを議論して決めて、その通りに演じること繰り返すことで、課内メンバーの参加意欲を高めたりと、小さなトライアルを続けていました。
これと並行して、9.11同時多発テロ対策等の対応や分担金の予算要求問題もあり、何となく課内の一体感も高まってきたので、全体の見直しの前に、総務・経理部門の再編に着手しました。旧厚生、旧労働の仕事の非効率的な割り振りを効果的で合理的なものに変えるという条件だけを示し、総務、経理、法令の係長で再編案を検討してもらうことに。彼らの上司や課長には、係長の案に従うことで事前に了解をとりつけての検討開始依頼です。
しばらくして、なかなかの案を係長の皆さんがまとめてきたので、その案を規定に反映するとともに、私の席を、窓際から本来あるべき総務・経理の近くで、総括審議官、課長の動きが見える場所に、物理的に移動しました。
私自身も働きやすくなったのですが、課内の皆さんも実質的な統合=効果的・効率的な仕組みへと変え始めたとの実感が出始めたか・・と考え、最終到達点である課内全体の組織(規程)の見直しに着手することしました。
(次回に続く)