旅の楽しみ24:東京十社めぐり5(江戸散策12)

2013年8月16日

今回の江戸散策は、4月から始めた東京10社巡りの最終として、赤坂の氷川神社、日枝神社に参拝です。

 

例年、旧盆の期間中は、地元福井で送るのですが、今回は4日からの家族での北海道旅行から、そのまま福井に向かったため、今年は14日から東京滞在です。この間を利用しての、今回の散策となりましたが、平日の赤坂にも関わらず、人出も少ない良い時期となりました。

 

今回の氷川神社、日枝神社は、全国に数多くの同名の神社がある、いわば「全国チェーン」の神社です。

氷川神社は、「素戔嗚尊」を主祭神とする氷川信仰の神社で、さいたま市大宮区にある神社を総本社とし、埼玉県、東京都の荒川流域を中心に200社以上が存在します。地元福井は、なぜか氷川神社が3番目に多い県であり、10か所以上あるようです。

日枝神社は、「大山咋神」と「大物主神(または大国主神)」を主祭神とする山王信仰の神社で、滋賀県大津市にある日吉大社を総本社とし、全国に3,800社以上が存在します。これら神社は、鳥居が特徴敵であり、通常の鳥居の笠木の部分の上端に合掌のように破風が付されており、「山王鳥居」と呼ばれています。

 

赤坂周辺のビルの地下駐車場に自車を停めて、まずは赤坂氷川神社に向かいました。

家族は、繁華街の赤坂以外の赤坂を歩くのは初めて・・赤坂の街並みを楽しんでいるようでしたが、こちらは、昼過ぎに強い日差しを受け、また赤坂の名前通り、幹線道路から生活道路に入ると坂の連続のため、大量の汗を流しながら・・息も絶え絶えの感です。

マンションの向こうに、大きな森が見えてくると、それが氷川神社です。

江戸時代、第8代将軍 徳川吉宗が享保15年(1730年)に、現在地へ遷宮が行われ、将軍直々の御参拝がなされて以降、第14代家茂まで歴代の朱印状が下附されるなど、将軍家との関係が深かった神社です。

階段を上ると、思った以上に広い神域を持ち、大きなイチョウも2本あります。そのうち1本は、幹周約7.5m 樹齢400年の巨樹(写真)です。神社が現在地に建立された時には、既に100年を越える樹齢を有していたことになりますが、その時から、この地は、神聖な土地と考えられていたのでしょう。

これまでの東京10社のように、大規模な結婚式場もなく、大きな通りに面しているわけでもなく、最も神社らしい佇まいを持っています。東京10社の中で、家族は、この氷川神社が最も気にいったようです。

ただ、間もなく、大規模な社務所(結婚式場?)が建設されるという計画をみて、少々、残念な感じが・・。時代とともに、変わっていくのはやむを得ませんが、あの良い雰囲気が変わるのは惜しいものです。

 

氷川神社の隣にある立派なお宅を見て、「誰の家かしら」と繰り返す家族を連れて・・連れられて、TBSの前から日枝神社に移動です。

外堀通りに面する山王鳥居の向こうに高い階段を見て、少々、気後れしましたが・・階段に併設しているエスカレーターを見て一安心。10年近く前の周囲の再開発の際に整備されたのだと思いますが、神社参拝にエスカレーターも変なものです。

天正18年(1590年)に徳川家康公が江戸に移り江戸城を居城とする際に、「城内鎮守の社」として、城内紅葉山にあった日枝神社を大切にし、秀忠の時の江戸城大改造の際に現在地に遷座したという歴史があります。過去は、江戸城~徳川家と深い関係を持つ神社ですが、今では、総理官邸、国会議事堂にも近く、長年、日本の政治を見てきた神社とも言えます。

しかし、二人とも、総本社の日吉大社を何回も見たことがあり、狛犬の代わりの猿を見ても、特に感じることもなく・・・東京らしい神社の佇まい(大規模な結婚式場が敷設など)に淡々としたものです。氷川神社が気に入った家族は、「お賽銭は、ここは半分・・」などと不謹慎なことを言って参拝~罰が当たるといけないので、敷地内の山王茶寮で冷たいものを飲んで厄払い・・一息をつきました。

 

ただ、帰りの稲荷参道は家族も気に入ったようです。赤い小さな鳥居がいくつも重なる坂というのは、京都で大学時代を過ごした彼女にも珍しかったようで、ふらふら歩く私の後姿を写真で撮られて、東京10社巡りは終了です。

それぞれに感じるものは違っているようですが、自然と歴史が一体となっている地方の神社のほうが良い感じがするというのは、共通意見のようです。

 

さて、次回からの散策 企画は家族任せですが、どうなるでしょうか?