旅の楽しみ22:東京十社めぐり4(江戸散策11)

2013年7月29日

今回の江戸散策は、東京10社の芝大神宮、品川神社に参拝です。

26日(金)の夜に福井から到着、土曜日は私が研究会で終日不在、日曜日は家族が地域行事で終日不在と、忙しい合間を縫っての外出です。

 

本日は、朝から小雨が降り、ここ数日とは違って、少しは過ごしやすい・・とは言っても、暑さに弱い私には蒸し暑い感じのなかで、昼過ぎに、芝増上寺にほど近い芝大明神付近に到着。

芝大明神は、昨年、家族で行った伊勢神宮の内外両宮の祭神を祀っており、関東における伊勢信仰の中心的な役割を担うものとして「関東のお伊勢様」と、古くは言われたようです。

 

そのため、個人的には、伊勢神宮の広い神域というイメージが強かったのですが、付近には、神社につきものの神域も見当たらず・・ビルの間の狭い路地を抜けると(裏から入ったようですが)、階段の向こうに本殿が見えます。狭い敷地を有効活用して、1階を駐車場等の業務空間に、2階を本殿にしているようです。大都市ならではの、土地の高度利用なのでしょうが、個人的にはしっくりきません。

家族の意向もあり、そのまま芝増上寺に歩いて回りましたが、こちらのほうが家族にも良い印象を与えたようです。東京タワーを背景する寺院建築というのも良い風景であり、外国人の方が結構いたのが印象的でした。

 

それから第1京浜沿いにある品川神社に向かいました。文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と祈願成就(平氏打倒)の守護神として、安房一ノ宮の洲崎明神の天比理乃命を勧請して祀ったのが始まりという由来の神社です。

第1京浜に向かって立つ、龍が巻きつく特徴的な鳥居の向こうには、急な階段が続きます。階段を避けて、横の坂道を上っていくと、芝よりは神社らしい雰囲気です。本殿はもとより、1869年に造られた富士塚、1919年に没した板垣退助夫妻の墓(敷地に隣接)、1932年に新束京八名勝の第3位に選出された(報知新聞が企画した一般投票)ことを示す記念碑、1976年に建立された包丁塚(使用済みの包丁とその包丁によって調理された鳥獣魚介類を慰霊)といったものが面白い存在です。

 

後で調べると、1932年の新東京八名勝には、池上本門寺、西新井大師、品川神社、日暮里諏訪神社、赤塚松月院、目黒祐天寺、洗足池、亀戸天神が選ばれたとのことでしたが、品川神社の境内を見る限りは、ピンときません。

不思議な感じをしながら、富士塚を上ると・・・それなりの高台から見える景色は良いものです(写真)。新東京八名勝に選ばれた約80年前は、海ももっと近く、高井ビルもなく富士山もはっきりと見えて、蒸気機関車が走るといった景色だったのだろうと想像すると・・確かによい景色のように思えます。

さて、これから80年後の22世紀には、東京はどのような景色になっているのでしょうか。私はもちろん、私の子供も見ることはないでしょうが、これらの名勝とされた8つの神社仏閣等が残っているのか・・・楽しみではあります。

 

少し富士塚で風を受けてから階段を降り、旧東海道を少し歩いて自車に乗り込みましたが、その昔、東海道の最後の二つの宿場町 草津宿 大津宿に行ったことがあるのを思い出し、最初の品川宿の次の宿場 川崎宿に近い川崎大師にお参りして帰宅となりました。

旧東海道の最初と最後だけは確認しましたが・・・この歳では、途中の宿場を確認するのも難しいでしょう。