Episode57 「危機的な状況発生 よき先輩と後輩に助けられる」

2013年7月28日

長閑な日に限って悪いことが起きるものです。昼食を終えてのんびりしているところに、大臣室に来てほしいとの連絡がありました。

 

大臣室に行くと、国際課長が大臣と話をしています。内容は、北朝鮮の保健大臣と第3国で会見するので、その事務的な準備をして欲しいとの指示です。半分寝ぼけていたのですが、急に目が覚めました。「北朝鮮?」「第3国?」・・

これは、大変なことになると考え、まずは外務省と相談と思いましたが、大臣からは「外務省には秘密にして欲しい」との御達しも出ました。その意図は不明でしたが、「外国の会見には現地の日本大使館の支援がいる」「正式な通訳をたてないと問題が起きる」等と抵抗したものの、大臣からは、「直前まで秘密裏に」「通訳は厚生労働省の在韓国日本大使館経験者を」とダメ押しをされました。

 

席に戻り、落ち着いて頭を整理しましたが、過去の在中国日本大使館での勤務、援護局での勤務経験からして、政府部内で連携をとった対応をしないと危険と判断し、国際課長、国際担当総括審議官に、「大臣の意向はともかく、外務省、官邸に連絡をすべきでは?」と伝えましたが、「政治の外交だから」との回答でした。
やむを得ず、当時、廊下を挟んで国際課の向こう側にあった広報室に行き、4年先輩にあたる広報室長に相談しました。外国経験がある室長には、私と同じ問題意識を持ってもらえ、室長には事務次官室へ相談に行っていただきました。しかし、「政治だから・・」と回答は同じで、二人で考え込むことに・・

 

考えた結果は、当時、総理官邸に在籍していた先輩に直接電話して、大臣からの指示内容を伝えることでした。伝達後、しばらくは関係者に広げることを待ってもらいましたが、さすがに、事が事だけに総理秘書官に話が伝わり、外務省に連絡が行き、外務省から大臣に連絡が行くということに。これにて政府部内で統一的な対応を図るという枠組みができました。
大臣は、少々、憮然とされていたように見受けましたが、私は、知らんふりをして、淡々と事務準備を進めることに。場所は、大臣が先方(未だに窓口は不明です)と連絡をとり、シンガポール(写真)に決定。ホテルの予約、会見場所の設定、記者会見会場の設定等と、現地の日本大使館と連絡をとりながらの準備です。実際の事務準備は、クールに仕事を進める有能な係長にお任せして、私は、広報室長と状況分析、対応方針の整理等の頭の体操を繰り返していました。

当然、この話は、国内、国外に流出し、国内では拉致被害者問題をはじめとする国会質問の連続(答弁資料は政治の問題なので「作成せず」でしたが・・)、現地では200名を超える外国プレスが取材の申し込みと、出発日が近づくにつれ、ヒートアップしてきました。しかし、広報室長と私は、それに反比例して、暗い気持ちになったものです。必ず何か問題が起きるだろうと。

 

出発直前、広報室長から私に連絡がありました。「北朝鮮側が現地に行かないかもしれない・・という情報がある」という内容です。このまま現地に行って、もし相手方が来ないとなれば、外交上の恥をかくことになると考え、広報室長の判断である作戦を実行しました・・。
翌日朝に大臣室から私に電話がありました。「シンガポール行きは中止。大臣室に来てほしい。」との内容です。思わず席から立ちあがり、「大臣出発中止」と大声で叫んで、大臣室に駆けていきました。厚生労働省のビル内で走ったのは、この時が最初で最後です。
大臣室では、ここ数日先方からの連絡がなくなり、今朝、確認したら中止するという連絡があった等の話がありました。大臣が先方に日程等を再確認するように促す昨日の作戦が成功したことを確認しつつ、正直、昨日の作戦がなければ、間違いなく出発していたと思い、ホッとしたものです。

 

その直後、結果的には無駄に働いてもらった係長他を慰労する意味で食事に行きました。係長からは、「中止になると知っていたのでしょう?!」と、女性らしい厳しい追及を受けましたが、室長との関係もあり・・本当のところは、笑って誤魔化すしかありませんでした。
約10日間の嵐の後、手元には数十万円のホテルのキャンセル料の請求書だけが残りましたが、金には変えられない国の名誉を、よき先輩と後輩に恵まれて、守れたものと今でも思っています。
お二人には、ここで御礼を。ありがとうございました。

 

しかし、その先輩も、残念なことに、私より早くにお役所を去りました。

今思えば、これも私が役所を辞めるきっかけの一つだったのでしょう。