2013年6月18日
日本の統治機構における現実の意思決定は、マスコミの意見で大きく左右に振れるのが現実です。
このマスコミは、「立法・行政・司法の三権を監視する使命がある」という意味で、「第4の権力」と言われますが、一方では、マスコミが「現に持っている力は立法・行政・司法の三権に並ぶものの、相互牽制の仕組みのない警戒すべき存在」という意味で用いる人も結構います。
個人的には、この両面を、3回目の保険局時代の仕事で実感しました。
前回の拉致被害者支援の佐渡での仕事は、基本的に大勢のマスコミ陣への対応でしたが、この時にマスコミは極めて警戒すべき存在なのだと実感しました。
私が、佐渡に入った夕暮れどき、拉致被害者の現地入りを明日に控えた町では、大きなアンテナを立てたTVの中継車が何台も、あちこちを無秩序に走り回っていました。これを見て、役場に着いてからの最初の仕事は、マスコミの代表者との面談でした。報道各社は、役場からの情報がないことに不平不満を並べましたが、他社に先行報道をされないかと疑心暗鬼になり、街中を情報もなく走り回っている様子がわかりました。
一方、町の皆さんも、こうしたマスコミの無秩序な行動に困っているという状況で、短期間で、町に迷惑をかけないような、統制のとれた報道の動きにするかが最大の課題でした。
報道陣の目的は、映像や記事に出来ることを事前に知りたい=知ることができれば、取材対象がはっきりして、無秩序な動きはなくなる=町の目的も達成するということが、彼らとの話の中で理解できました。
現地の役場の皆さんの献身的な努力の結果、数日後には報道陣の動きも秩序だってきましたが、被害者が、和装で佐渡一ノ宮度津神社(写真)にお参りするとき、嫌なことが起きました。
TV報道のある女性が、「なぜ立ち止まって(報道陣に向かって)挨拶をしないのか。陛下でもしてくれるのに。」と噛みついてきました。さすがにムッとして、「陛下は公人なので報道対応もされるだろうが、彼女は私人であり、彼女の好意で行動を事前に公表している。そうした要求なら、今後、事前に情報提供はできない。」と啖呵を切ったところで、報道陣の取りまとめ役の人が現れ、一応終息となりましたが、後ろから「○○野郎」と女性の罵声が聞こえてきました。
この際、TV報道とは取材対象を人として尊重しないものなのだと思ったものです。数年後に、知人が、TV報道に追いかけられ、好意で自宅での長時間のインタビューに応じた後、終了して煙草を一服したところを隠し撮りされ、それだけがTVに流されたと本人から涙ながらに聞かされましたが、全く同じことです。
TV報道の取材は、取材を受ける人との信頼関係など、一顧だにしないものだ・・と、今でも思っています。
それから半年後、新たな医療保険制度の枠組みを閣議決定する前に、今度は、新聞記者の方を相手にすることになりました。最初は、佐渡の件もあるので、引き気味の対応でしたが、よく聞いてみると、皆さんの意図は、いずれ正式決定になった際に、間違った記事とならないよう事前に勉強したいとのことでした。厚生労働省担当の記者といえども、各制度に精通しているわけではありませんので、ある意味、当然のことですが、私にとっては、新鮮でした。
そこで、一人ずつではなく、複数の記者の方を集めて、勉強会のような雰囲気で、医療保険の実情、今何が課題か、どうしたら改善できる可能性があるか、いくつかの案があるが実質的には皆同じであることなどを、段階的に説明していきました。
当時の総務課長は、過去、報道対応で嫌な目にあったことがあり、私がそうした対応をしていることを否定的に考え、私に、やめるように言いましたが、それを受け流しながら、説明を続けました。
その結果、最後の頃には、「某議員が、・・・と言ってましたよ。」などと、国会議員の動向なども教えてもらえるような信頼関係のある雰囲気となり、最終的には、課長も、このやり取りに何も言わなくなりました。
TVのように映像さえあれば・・という世界ではなく、文字で勝負する新聞ならではの関係構築だったとは思いますが、私にとっても、気づかない着眼点を聞かれたりして、案の質的な向上に、つながったという実感があります。
一歩踏み込んで相手の発想を知る。そうすれば、必ず得るものがあるようです。