旅の楽しみ19:東京十社めぐり2(江戸散策9)

2013年5月25日

今回の江戸散策は、東京10社の神田明神、富岡八幡宮に、お昼をはさんで参拝です。

 

これまでの散策は平日でしたが、今回は、はじめての土曜日です。4月以降、私の東京での仕事の面での変化があり平日の拘束時間が増えた一方で、長男が中学生になり土日の家族の活動がなくなり週末の時間が増えるという変化を受けてのものです。本来なら、平日に「のんびり」と行きたいのですが・・

 

最初の参拝地 神田明神は、神田祭で有名ですが、1300年近くの歴史があり、御祭神には、大已貴命(大黒様)、少彦名命(恵比寿様)、平将門命が祀られています。江戸幕府が開かれた際に、元和2年(1616)に、江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営され、以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」と言われた神社です。御祭神が、商売繁盛と武家興隆の両面を持つ不思議な構成であることが、今でも数多くの氏子を持つ理由なのでしょう。

 

明神下の駐車場に自車を停め、男坂をゆっくり上がってくと、家族は、しきりに「神田明神下」という言葉を聞いたことがあると繰り返します。加えて、「歴史上有名よね・・」とも。きっと、彼女が子供の頃、好きだった時代劇のことを言っていると思い、「それは、銭形平次~神田明神下の平次でしょう」と答えると、不審そうな顔をしましたが、別の話題に・・。坂を上り切ったところに、結婚式が行われているのが見えてきたからです。

 

神前の結婚式は珍しくはありませんが、ここでは拝殿前での写真撮影、拝殿内での祝詞と本格的です。併設の披露宴用の建物には、本日8件の式があるとの表示です。この10年来、すっかり結婚式とは、ご無沙汰ですが、拝殿前の写真撮影の皆さんを見ると、私より年齢層が上の人ばかり(そう見えただけかもしれませんが)。新郎新婦の年齢が上がっていることが反映しているのでしょうが、なんとなく不思議な感じがします。

 

資料館、神輿、庭園などを一通り見て回り、男坂に戻ろうとすると、「野村胡堂 銭形平次」との石碑が見えてきました。一旦途切れた話題に戻り、「実在の人でなくても碑ができるのね。」とのコメントに、大衆文学~銭形平次の影響力の大きさを感じたものです。

坂を下りて駐車場に向かう途中で、「鱧」の看板を見つけて、学生時代を京都で過ごした家族の希望で、そこで昼食をとなりましたが・・残念ながら夜だけとのこと。いずれ行くこともあるでしょうか。

 

次の参拝地 富岡八幡宮は、寛永4年(1627年)に、周辺の砂州一帯を埋め立てて現在地に創建された、「深川の八幡様」と親しまれる「江戸最大の八幡様」です。富岡八幡宮は、特に、知識もないままの参拝でしたが、ここでも横綱力士碑という立派な石碑(写真)に、ご対面となりました。午後の強い日差しの中で、立派な碑が映えます。横綱名は、白鵬関までが彫り込まれ、6月6日には、日馬富士関の名が彫り込まれ、奉納土俵入りが行われる由。

家に戻って調べると、貞享元年(1684)、江戸幕府により春と秋の2場所の勧進相撲が許されますが、その地が富岡八幡宮の境内だったとのこと。以降約100年間にわたって本場所が境内にておこなわれ、その間に定期興行制や番付制が確立されたと記録されています。相撲と言えば、両国回向院と思っていましたが、その前の歴史があるものです。残念ながら、6日は仕事で行けませんが、きっと、多くの人が、八幡様に行かれるのでしょう。

 

最後に、故池波正太郎氏の紹介する深川めし(あさり)を遅い昼食にでもと、境内を出ようとすると、TVクルーを引き連れた「阿藤快」さんを拝見することに。

深川めしの店の取材のようでしたので、その店はパスをして、別の店で、あさりとさくらエビの「蒸籠めし」を食して、しばらく門前仲町の商店街を歩くことに。福井の両親へのお土産等を買っていると、またまた、阿藤さんのTVクルー一行に遭遇しました。

一連の散策で、街角で芸能人に会うのは初めてでしたが、これも週末のお出かけのせいでしょうか・・。

 

今回の散策は、5時間程度の散策となりましたが、忙しかった今週の東京滞在の締めくくりとなりました。

明日から、また、福井です。