Episode50 「部下の意欲を挫く上司にはなりたくないものです」

2013年5月18日

私の仕事の歴史は、全てが順調だったわけではなく、これまで記してきたように、何度も辛酸(特に内部に)を味わってきましたが、一度や二度のネガティブな上司の対応にも挫けませんでした。しかし、それも何回も続くと、さすがに続けることは難しいものでした。

 

お役所時代に、心が折れる音が聞こえた瞬間があります。
障碍保健福祉部の最後は、実は、障碍者自立支援法のたこ部屋ではなく、医療観察法関係の担当でした。Episode34で記した室長の交代問題から数か月後、モチベーションの著しく低下した医療観察法施行チームは、各省調整等で大きな壁にぶつかっていました。部長、課長が調整に行っては話がこじれ、また、病床整備が法施行1年目では2病棟程度であることを厳しく指弾され回答できないという状態でした。

 

そこで、ある程度、軌道に乗りかけていたタコ部屋から、急遽、医療観察法の施行の最終準備に、私が駆り出されました。その時点で、既に、「うんざり」の気分なのですが、私の気分直しに、障碍関係の審議会の着席場所を、右側から左側に変えてみました。

それまでは、新制度に係る内容の質疑については、私が全て回答していたので、委員からは新制度に係る責任者として見えていたのでしょうが、私がいつもの席に居ないので、欠席と思ったある委員から、「本日は北川企画官が欠席だが、審議会軽視ではないか」等の発言が冒頭あり・・「ここにいます。担当が変わりました。」と回答し、和やかな? 雰囲気に一瞬なるということもありました。

 

しかし、医療観察法の施行の最終段階は、こんな和やかさとは無縁のものでした。
各省調整は、個別に障碍の制度改正で勉強会をしてきた経過もあって、当時信頼関係のあった団体の協力も得て何とか終結しましたが、施行後、病床が足りないとの問題については、元々、間に合わない施行期日なので、どうしようもなく、前々から考えていた、「法施行前の改正」という方法を出すべき時期と考えました。徹底的に努力しても間に合わないという状態にならないと出せない案なので、そのタイミングを計っていたということです。
企画課長にお願いし、国会対策の議員と会う機会を作ってもらい、1対1で数回にわたり施行状況について正直に話をし、何とか、改正の必要があることは理解してもらいました。そこで、「じゃ幹部に確認する」と言われたので、私のほうも、これまでの経過等を次官級の二人に話をし、「わかった」と言ってもらい準備万端のはずが・・

 

数日後、国会対策の議員から「幹部に聞いたら改正無しでも大丈夫と言っていた。」との話を聞いて愕然とすることに。心が折れた瞬間です。この幹部は、これまでのコラムでも、神棚に祈ったり、財務省が認めるはずがない等と、何度も私のモチベーションを挫いてきたとして登場した人です。昔から、国会議員との厳しい話は下手で、見かけと違って弱腰なので、疑念はあったものの、まさか・・という気分でした。
 

企画課長に促され、次官のところに経過報告に行き、「俺から言ってみるか。」とありがたい言葉をいただきましたが、心の折れた私は、「もう結構です。大丈夫と言った人が後で地獄を見れば良いだけですから。」と答えました。この時点で、あの人のいる・影響力のある厚生(労働)省は、もう懲り懲りと思ったのでしょう。
 

その後、医療観察法は施行されましたが、1年目の状況は、ヒューマンケア通信で書いたように酷いものでした。担当者は、法改正が必要と官邸等に説明に行ったようですが(官邸関係者から、どうしたら良いという問い合わせもありました)、当然、認められるはずもありません。自分で必要ないと言ったのですから。

 

最近、この人が、私が辞めた理由を障碍部で働かせすぎたと言っていると人づてで聞き、思わず笑ってしまいました。ダメな上司とはこんなものなのだと。

 

私自身、これからも仕事をしていく上では、部下を信じること、裏切らないこと、意欲を高めることだけは、忘れないようにしたいと考えています。
また、今支援する組織内に、今回の話題の人と同じことを平気でする上司がいれば、その上司を徹底的に退治してやろうと思っています。ダメな上司の下では、立派な部下は育たないからです。