Episode44 「大人の社会は仁義の世界 相手の信頼を得ることが大事」

2013年3月18日

法律案を国会に提出する際には、与野党に説明し、少なくとも与党に認められることが必要です。もし、認められなければ、法案全体の提出ができなかったり、反対のあった部分は法案から削られたりします。
その意味では、法律に位置付けるべき事項は、公務員が立案しても議員がYESと言わないと国会で審議もされないという意味で、昔から政治主導でした。

 

さて、障碍者自立支援法案を国会に提出した際に、同時に精神保健福祉法の改正案も提出しました。障碍者自立支援法案は、予算関連法案で、いわば省をあげての対応でしたが、精神保健福祉法の改正は、事実上、当時の精神保健福祉課に任された状態でした。

 

 

内容は、医療保護入院について1年ごとに外部チェックを入れるなど、将来に向けての布石=当座は影響が少ないという改正でしたので、個人的には、問題はないだろうと甘く見ていました。
しかし、実際には、精神科医である議員(当時)の反対を受けることになり、担当課長が、何回か説明に行ったようですが、埒があかず、法案提出の期限も迫っていました。
 

その頃は、既に精神保健課の業務からは離れていたのですが、企画課長からの指示で、その問題解決に駆り出されることに。課長が行ってダメなものを、企画官が行ってどうするのか・・という疑問はさておき、まずは、議員の意図を直接聞くために事務所訪問です。

当初は、関係団体の意向を反映した反対かとも思いましたが、聞いてみると、そうした背景ではなく、「精神病院(当時の法律上の名称)に対する偏見をなくしたい」という、ある意味、医療者としては、まっとうな意見を背景にするものでした。
それを背景に、議員の主張は、精神科病院に名称を変える、医療保護入院の手続き見直しをやめるべきとの2点に集約されました。

 

1点目の名称変更については、事務的に難しいとの説明をしても無駄と考え、思い切って、議員立法の方法を提案しました。まだ、議員立法の方法を、ご存じなかったようなので、「空席にしてくれ」と叫んだ例の問題の部長に話をして、彼に担当になってもらうことに。
彼の得意分野であり、彼がそれを担うことで本来業務も動くとの現実判断でしたが、これはうまく進みました。この時だけは、部長がいて良かったと思ったものです。
 

2点目の件は、法律案の書きぶりを何回も変え、議員と私だけで調整をしましたが、どうしても首を縦に振ってくれませんでした。あきらめるかとも思いましたが、数年後の次のステップの布石になるはずと考え、何とか実現したいと考えて粘ってみました。
しかし、法案提出に間に合わせるには、明日が最終日というときに、議員は地元に帰ることに・・・意を決して、「議員、私も地元に行っていいでしょうか?」と聞くと、それは困るとのこと。
「それでは、明日夕刻、東京に戻って来られないでしょうか?」「そこまで言うなら最終で帰って来よう。」「では、羽田で待ってます。」と続き、最後に、笑いながら、「議員宿舎で待っていなさい。」と言われ、その日は別れました。
翌日、議員宿舎で待っていると、議員が、何の説明も聞かず、「わかったよ。お前に任せる。これは貸しだからな」と、思わず「肝に銘じておきます」と回答し、仁義の世界(写真は次女の作品)で決着しました。
 

この間の私の姿勢を見てのことと思いますが、少しは信頼感をもってもらえたのでしょう。

今でも、思い出す、やりとりです。なお、未だに 借りは返せてはいません。