Episode43 「反発よりも対話 相手の事情を理解し合意点を探すのが大人」

2013年3月8日

障碍福祉の世界は、各者が自分の正当性を主張してきた世界です。
それ自身は、ある意味当然のことですが、残念なことに、それぞれが何ら双方の主張・事情を理解せず、現実を動かすために、自ら調整し譲歩することはなされては来ませんでした。その結果、障碍医療・福祉の分野は、長らく停滞することになったと個人的には考えています。

 

25年前、当時の厚生省児童家庭局で、知的障碍者のグループホームの試行を始めたとき、それに一部関わっていました。それから、20年近く経て、障碍保健福祉部で、その時の障碍福祉サービスの枠組みを聞いて、昔の知識で、ほぼそのまま問題なく理解できたこと自体が驚きでした。あの頃から、何も変わっていないのだな・・と。

 

さて、障碍者自立支援法案を国会に提出する一方で、審議会の公開の場とは別に、現実の運営を進めるために、各事業者団体と継続して意見交換をする場を持っていました。
医療事業者、福祉施設事業者、グループホーム事業者の三つです。
それまでは、個別に各団体から意見を聞いて、それをお役所がまとめるという形式でしたが、それでは各団体が自分の利害だけを言い、うまく行かないと考えていたので、あえて、三つのグループで、それぞれ事業者を一堂に集めて意見交換をすることにしました。思惑としては、準公開の場なので自己の利害のみを強調することはないだろうという予測と、複数の事業者の意見を聞くことで各団体の考えが深まるだろうという期待が半々でした。
その中では、グループホームの意見交換の場が、記憶に印象的に残っています。

 

私としては、20年近く、形態を変えてこなかったグループホームを、多様な形態に変化させ、一方では、グループホームを居住の場の最終到達点としないこと、一方では、病棟、施設等の移行の受け皿にしようと考えて臨みました。意見、立場の違う者の妥協点を探り、作るという作業です。
結論から言えば、それは残念ながらうまく行きませんでした。
グループホームの既存事業者は、当初の理念を墨守し、頑なに施設からの移行としての集合型のグループホームを許容しようとはせず、一方では、通常生活では考えられないような高い食費・消耗品費をとっていても問題視せず、障碍者夫婦をグループホームに入れることと住宅建設費に補助をすることばかりに拘っていました。自らの利害にだけ拘ったということです。

 

途中からは、「いくら言っても駄目だな」と割り切り、早々に、当初から考えていた、グループホームの分場(小規模のものを複数集めて一つのものと考える)、集合型のグループホームの認容等を、お役所の責任でやると伝え、事実上、私は意見交換の場からは出ました。
その後、精神科病院等の移行の受け皿と考えていた集合型グループホームは、制度化はされましたが、既存事業者の大反対で、事実上、その運用は広がりませんでした。医療側も、「これができれば、移行を考える」という人も結構いたのですが、反対の大合唱の前に、彼らの行動変容が始まることは、ありませんでした。

 

あのとき、もう少し、粘り強く調整していたら・・とも思うこともありますが、その後の経過や、最近の精神科病院の提案への反対活動を見ていると、やっていても同じだったなと思います。
私から見れば、病院・施設を非難するグループも、自分の利害に関わることには拘りますので、その意味では、現実的な問題を抱える事業者という立場は同じです。理念も大事とは思いますが、現実を無視して、社会や事業者が動くはずはありません。こうした「現実を動かす」という意思のない空疎な理念は、百害あって一利無しというのが私の考えです。
普通の大人であれば、相手を理解し合意できる点を探すものですが、この分野が、その普通の域に達するのは、いつのことなのでしょう。既に、手遅れなのかもしれませんが。

 

しかし、個人的には、当時、現実的な合意を見いだせなかった苦い思い出は、今でも忘れることはありません。

少なくとも 自分の子供には、非難するばかりで自ら調整・譲歩をしない大人にはなって欲しくないものです。