2012年12月8日
医療観察法の共同施行者(法務省、最高裁)との政府内での調整は難航していたものの、厚生労働省が本来担うべき病棟整備は、何とか動いていました。
当初、地方自治体との関係は、岡山等を除いて、全くダメで、この法律を制定した際の担当補佐が部長級で出向している県でも、その出向者から、面談時に即座に断られるという珍事もありました・・。正直、「自分で即座に断るような制度を、よく作るな。」と思ったものです。
しかし、国立病院との調整は、病院担当課の尽力もあり、矢崎前国立病院機構理事長(当時、正確には、機構発足前で理事長予定者)に説明して、方針を固めるという手順に辿りつきました。その時間、なぜか担当課長が不在で、私から説明することになったのも、何かの因縁でしょう。
極めて、厳しい雰囲気でしたが、何とか了解をとりつけることに成功。NHO財務部長時代に、矢崎理事長に、当時の話をしましたが、その時のことは覚えていらっしゃらなかったものの、私にとっては印象深い時間でした。
こうした経過を経て、また前回のコラムのように医療観察法施行準備室の体制づくりも済み、私は、その次の仕事をしながらも、たまに室からの相談に乗るという対応で、地元説明等も順調に進んでいたのですが・・・
間もなく、予想外の嵐が来ました。
ある日、庶務担当の課長補佐が、「こういう人事異動内示書が来ているのですが、何か知っていますか?」と相談に来ました。ちらと見ると、私が願って来てもらった室長を、「室長から降格させて、その場で補佐として継続勤務。室長には医系技官(技術系)を充てる」という、驚くような内容でした。
さすがに「何か不祥事でもあったのか?」と聞くと、「そんなことはありません」との回答。課長補佐も、室長とは同じ事務系ですが、人事系統が違うので、今回の人事の理由などを何も知らされていませんでした。
室長等の人事は、企画課長が知っていて当然なので、状況を確認に行くと、「そんな話は聞いていない」とのこと。次に、室長の懐刀として働く室長補佐(室長と同じ人事系統)に状況を聞くと「事前の話は一切ありません」との由。
企業の人事は、通常、一体で行われるものですが、厚生労働省では、事務系・技術系と大きく分かれ、さらに、それぞれが複数に分かれており、当時、障碍保健福祉部は、事務系で6、技術系で3、計9の人事系統がありました。
それぞれの人事系統のポストは概ね決まっており、それぞれで人事異動は行うのですが、結果として変な人事にならないよう、事前に人事課で全体をチェックし各部局と調整したりするのが常識ですので、管理職の降格人事(処分等を受けないと、通常は起きえない人事)を、主要な関係者が誰も知らないということは、あり得ないことです。
そこで外出から戻ってきた担当課長に確認すると、「人事グループ間で話はついていると聞いている。仕事はこれまで通り、北川企画官をヘッドに分担してやってもらう。」との回答。彼は、どこからか少しは聞いていたのでしょう。
しかし、「人事グループ間で話はついている」と聞いて怒りが込み上げ、「ふざけるのもいい加減にしろ! 誰が、『何も悪いことはしていないけど、人事の都合で、あなたは降格です』と言うのか。そんなことを言われて彼らが働くと思うのか。これからのことは全て課長と新室長でやれ。」と、啖呵を切ることに。
当然、部内も、誰が内示をするかも決まらない(企画課長等に事前相談もないので当たり前です)という混乱状態に、チームの士気もガクッと落ちる。私から見えれば考えられない珍事です。現場がどう動くかなど、人事当局の関心外だったのでしょう。
それでも人事ですので、一度決まったことは、変わることはなく、数日後に、新室長が着任。私の知人でしたので、事のいきさつを説明し、「○○さんも被害者とは思うが、残念ながら、経過からして、私は、あなたをサポートできないので、課長と二人でやってくれ。」と伝え、あとはお任せすることに。
数か月後、新室長は長期休暇に入ったとの話が入り、一方では、その原因は私との話が広まっているとも聞きました。可哀そうとは思いましたが、人事当局の判断の問題と割り切りました。その結果、当方に負担が戻り、オーバーヒートにつながるのですが・・
なお、現場の状況も認識せず、別の世界で一方的に人事を決め、事前に入念な調整もせず、それで動くと考えている人事当局には、これで愛想がつき、その後は、まともな付き合いは、当方から遮断しました。
NHO時代に、人事当局の厚生担当管理職に評判が悪いと言われていたのは、これが遠因です。
しかし、本件は、「問題を起こした本人達は、問題を意識していない」典型的な例と今でも思っています。
少なくとも、自分の子供には、こうはなって欲しくないものです。