2012年11月8日
心神喪失等医療観察法は、裁判手続きを伴うとはいえ、刑法上は無罪等とされる人に対し強制的な入院等を行うことから、法案審議段階から強い反対がありました。
成立した法律には、人権面から入退院に係る裁判所との関係は決まっていましたが、病棟内でどのような医療プログラム実施し、どの程度の入院期間を標準とするかは、決まっていませんでした。
こうした中で最初の3か月は、厚生労働省が主管する入院医療・通院医療の内容を整理することが最優先でした。研究班が設置され医療プログラムの検討は始まっていましたので、その状況を聞かせてもらったのですが、「入院後の期間に応じた医療提供内容を整理する」といった、こちらが必要とするような形ではありません・・
そこで、ナショナルセンターの院長や研究者の方の意見を聴きながら、急性期・回復期・社会復帰期と入院を区分する考え方、これに基づく平均的な入院期間を整理し、主な関係者の了解を得て、その枠組みの下で研究班に検討を深めてもらうことに。
これが決まることで、病棟に必要な構造設備、必要となる病棟数、これに関わる必要な職員数など、制度運用について行政内部と調整するに最低必要なものの大枠が確定しました。
種々の選択肢はありましたが、誰もが「これで」と決めることはなかったので、最後は医療に長らく関わってきた自分の判断を信じました。もちろん、反対する方の意見や現場の病院の意見の双方を、よく理解した上ですが。
一方、政府部内の調整は当然のように円滑には行きません。しかし、その中では、財務省(写真)との予算確保の調整は、予想以上に順調だったと記憶しています。
通常は、夏の予算要求(概算要求)の段階で行うものですが、新規の制度のため、省全体の要求枠との関係もあり、何とか要求枠の確定前に決めようと考え、直接、財務省主計局の担当主査に相談を持ちかけることに。
その際、自分の判断で、省の会計課や部の予算部門には、事前相談しませんでした。手間ばかりかかって、貴重な時間を無駄にすると考えたからです。「本丸」を落とせば、後は何とかなる です。
主査とは、以前からプライベートで知り合いだったのですが、逆に、仕事面では直接やりとりをしないよう(対外的に変な眼で見られないよう)に心掛けてはいました。しかし、さすがに、その時は、背に腹は変えられず、偶然一緒になった馴染みの飲食店で直談判に・・・後で飲食店のマスターに聞くと、彼が店で仕事の話をしたのは、あれが最初で最後だったとのことです。
彼にとっては迷惑だったでしょうが、それでも4月中には正式に話をする場を設けてもらい、その後、数回の調整を経て、要求枠の確定前に、概ねの取扱いが決定することに。なお、当方の提示した内容は、事前に相当詰めたものであったことは当然です。さすがに人間関係だけで国の予算が決まるほど甘くはありません。
省の会計課や部の予算部門では、なぜ、そうなったのか暫くは理解できなかったようですが、こうして、当初予定の半年の期限は超えたものの、何とか最初の段階を凌げました。
この施行業務については、内外に「味方」は、ほとんどいませんでしたが、財務省の担当主査(当時)に議論の場を早期に設けてもらったことには、今でも感謝しています。
これがなければ、最悪の事態を迎えていたことでしょう。ありがとうございました。