2012年4月18日
国立病院機構本部の部長の仕事は、現場の病院の「経営力」を高めていくよう促すことでした。
そのためには、財務部の部下達が、私と同じように判断し行動する(もちろん個々人の特徴を生かしてですが)ようになることが必要不可欠になります。国立病院機構は、ルールを作り資金は配るが直接の執行業務をほとんどしない旧厚生省とは異なり、日々の直接執行業務の塊ですから、部下達の発想・行動を変えるということは、日々の業務自体を変えるということになります。
私自身は、いずれ書くこともあると思いますが、厚生労働省の公務員の中では珍しく、国の直接事務である医療観察法の執行、北朝鮮拉致被害者の帰国支援、昭和館建設の都市計画部門との調整などの直接業務を複数経験していたことから、短期間で、日々の業務を変え・定着させることの難しさを体感していました。そのことが、結果的に、国立病院機構での内部改革=営繕改革に役立ちました。
国立病院機構には50人を超える営繕職と言われる建築士、電気・設備技師の集団がありました(今は、当時凍結していた新規採用をはじめて増加していますが)。
従前は、予算配分した以降の業務は、ほとんど彼らに任されていました。私も、最初は、何もわからないので、断片的に営繕職の幹部の皆さんに聞いていたのですが、どうにも「技術的なことに口を出さないで欲しい」という態度が露骨で、中には、「私は、同じ技術職として建設会社にシンパシーを感じる」などと言う人まで本部にいました(後日、厚生労働省に「ご栄転」していただきました)が、自分では分からない部分が多いので、厳しい判断も具体的な指示もできないのが現状でした。
こうしたことから、私自身、「これではダメだな」と感じ、技術的な知識において、彼らと同等以上になることが必要と判断し、数か月、彼らが作る設計図面を見ながら、建築・電気・設備に関する疑問を徹底的に聞き続けました。いわば自分の資金で家を作る施主が、素朴な疑問・注文等をするのと同じ感覚です。
面白いもので、3か月もすると、彼らの知識・技術がどのようなものに依拠するかが、分かり始め、彼らの説明の矛盾、見落としなども指摘できるようになりました。やはり、月に10件以上もの数をこなせば、素人でも何とかなるということです。今では、もうダメですが、当時は、二級建築士の資格がとれるのではと思うくらいでした。営繕職の人にも、「このペースなら、大丈夫でしょう」と太鼓判を押してもらえました。もちろん彼らなりのお世辞でしょうが。
ここまで自分を高めることができれば、「技術面でも専門職と渡り合える」と自信がついたので、国立病院機構になって、事実上、最初の病棟建替えとなる下志津病院(写真)の入札の予定価格について、それなりの確信があって、営繕職の幹部が積算してきた数値に対して、7割程度の水準とするよう指示しました。当然のように、営繕職の皆さんから、「絶対に落札しない」「非常識な水準」とさんざんに反対されましたが、上司の判断としてこれを押し切り、病院にも了解を得て、その価格で入札手続きを始めてもらいました。
見事に落札。しかし、私の予想に反して、予定価格より、さらに1割程度安い価格での落札でした。私は「甘かった」「もっとやれた」と公言し、営繕職の人には、「こいつには敵わない」と思われたはずです。
これが、機構病院・建設事業者を動かす、第一歩となりました。