2012年3月18日
再生プランを進める上で、それがうまくいかなった場合には、どうなるのかということを各院長に具体的に理解してもらうことも重要でした。
国直営時代には、病院の統廃合ということで、多くの病院が合併し・民間等に売却されていましたが、病院そのものがなくなるという経験は、ほぼありませんでした。そうした過去の経験から、多くの院長は、仮に経営が悪くても統合だろう=病院がなくなることはないと甘く見ているのが、ありありと感じられました。これでは、事業再生が進むはずもありません。
こうした時、再生プランを展開すると主要因となった「累積債務が拡大する病院」の典型例である国立病院機構内のある病院の今後の処理方針を検討する最終段階を迎えていました。企画経営部が会議を主催し、関連する本部の部門と関東甲信越ブロックが参加して数次にわたり意見交換をしていました。
この病院の経営状況は、現状のままでは改善の見込みは乏しく、毎年、12億程度の医業収益で4億を超える損失を出し、あと1年で債務超過になることが確実(写真)でした。今後を判断するには良いタイミングだったのです。
会議では、過去の統廃合を経験している国立病院の関係者は、多くの院長と同じく、統合と考えていたようですが、私は、破たん処理スキームを新設した上で単純廃止を主張しました。理由は、
① 統合後において、両病院の文化が異なり、実際に動き出すまでに時間がかかること
② 統合病院のほとんどは、過大な人材数を抱えており、それが経営の足かせとなっていたこと
③ 統合の際に過大な投資をして、多額な債務を抱え込む傾向が強かったこと
といった統合病院の現実の問題と、これを機会に、「経営に失敗してもどうせ統合だろう」と思っている各院長の甘い認識を断ち切ることができると考えたからです。経営破たんの実例を見せることが、その時の国立病院機構には必要との判断です。
もちろん、立地状況等からみると、リハビリテーションを中心とする後方支援病院として生まれ変わる可能性もありましたが、話を聞く限りでは、今の病院の経営層・スタッフの意欲では実現できないだろうと考えてもいました。
本件については、私は主責任者ではありませんでしたが、最終的には、吉田企画経営部長(当時)の判断で「破たん処理スキーム」を新設し、その基準に適合する南横浜病院については、廃止と決まりました。決め手は、やはり経営層・スタッフの存続に向けた意欲がないという点だったようです。
平成19年の秋には破たん処理スキームが公表され、翌20年には、この病院の廃止が公表されました。初めてのことなので混乱するかなと思っていましたが、関係部門の努力で円滑に進み、平成20年12月(私の退職後9か月後)に無事終わったと聞いたときは、「さすがNHO」と嬉しかったことを覚えています。
一方、経営が苦しい言い訳を続けた他の院長には、相当衝撃だったと思います。