Episode3 「国の役所をやめるということ(仲間編)」

2012年1月28日

私が厚生労働省を辞めることが公になった平成20年の3月には、いくつかのお誘いがありました。いわゆる送別会です。 

当時、お役所では、異動の度に送別会があり、個人的には、形式的だなと考えて、辞めるまでの10年程度は、自分が異動するときには丁重にお断りしていました。
もちろん、一つの仕事を「締める」ことができ、同僚・部下と達成感を分かち合うべき「打ち上げ」の場や、深夜・朝早くまで仕事が続き一緒にいた若手職員を連れて「半ばヤケ酒」を飲むのには積極的でしたが。

(写真は、よく通った元気のマスターからの提供です)

 

さて、こうした送別会のお誘いも「次の仕事の準備が忙しい」といった理由で、できるだけお断りしましたが、ふと気が付いてみると、こうしたお誘いをいただいた人達は、お役所時代に、概ね、私から厳しく叩かれ続けた経験のある人たちが、ほんとどでした。

断りきれずに、お受けした数少ない送別会では、当然のように、
 「あの時は酷い目にあった。もうだめかと思った・・・」
 「それはこっちのセリフだろ。言うほうもいい加減疲れるよ・・・」
といった会話で盛り上がりました。
 

その会話をしていて、ふと、高校時代の生徒会の同窓生との飲み会の雰囲気と同じだなと感じたものです。当時、出身校である藤島高校の同窓会である明新会東京支部の総会の幹事年の立場でしたので、何回か、当時の生徒会のメンバーを中心とする企画グループで集まり打合わせを兼ねた飲み会も行っていましたが、その雰囲気と同じだったからです。
高校時代には、人から頼まれて生徒会長を引き受け、お祭り騒ぎの大好きなメンバーが生徒会に入り、その前後数年の間で最も盛り上がったと言われた学校祭を行うことができましたが、その時の達成感は、今でも共有されているように感じます。
その東京での明新会総会の打ち上げも、相当に盛り上がりましたが、ある元生徒会メンバーの女性から、「北川君は、いつも路線を引いて、みんなを動かして・・・今回もうまくやられたって感じね。それでうまく行くのだから良いのだけれど。でも何だか癪なのよね。」と怒られているのか褒められているのかわからない言葉をもらい、やむを得ず、「俺は、成長していないということなのかな?」と答えて、大笑いという一幕もありました。
 

こうした高校時代のような達成感を、お役所仕事で何回も味わえたのは幸せだったのかもしれません。私自身は、高校時代のように余裕はありませんでしたが、それでも厳しい仕事を一緒に乗り越えた仲間を得られたのは大きな財産だったと思います。
不思議なもので、辞める時の送別会で時を同じくした人との多くは、今でも仕事の面やプライベートでも付き合いがあります。昨年も同期のホームパーティに招かれ、子供も交えて(当家は子供は不参加でしたが)、よき時間を過ごしました。子供が小さかった頃の話や将来の話、海外赴任をきっかけに奥様と結婚した話など、深酒をしながら盛り上がりました。その時、同期の一人が、「なんで辞めたのか、どうせ説得できない奴だということはわかったから説得もしなかったけど。一緒に仕事がしたかった。」と酔いながら語りかけてきました。酔った場の話として私は聞き流しましたが、実際のところ、彼の発言に私は驚きました(本人が覚えているかどうかは不明ですが)。
辞めて間もなく4年。当時の気持ちをこうした形で聞くとは思わなかったからです。もちろん、当時、その話を聞いていたとしても私の決めたことは変わらなかったでしょうが。
嫌な思い出もたくさんありますが、こうした彼の話を聞くと、良き時間も多かったのだなと感じます。彼と実質的に仕事をしたのは中国赴任前の3か月と、ある年の概算要求の1か月だけですが、それぞれ、それを肴に一晩は飲めそうなほど、厳しく面白い時間でした。
 

厳しい仕事をあきらめず突き詰めて信頼できる仲間ができました。これからも彼らのことは応援したいと思います。