Episode1 「国の役所をやめるということ(家族編)」

2012年1月8日

講演では、人に紹介していただくのは嫌なので、自分で経歴を話すことにしています。
平成20年3月に厚生労働省(写真)を辞めたと話すことになりますが、その際、何となく、「この人何をやったんだろう」という雰囲気が漂います。

TV等では、政治と各省庁の関係が語られ、概ね各省庁は「悪役」のイメージですが、一方では、そこに勤務する個々の職員は、高級官僚というステイタス・安定した生活という根強い一般的イメージもあります。
こうした国の役所を辞めるとなると、「それを捨てざる得ない何かある」と勘繰られるのだなと、辞めた前後で実感しました。
ある障碍者団体の方が、「憲法違反訴訟」に和解して廃止が決まった障害者自立支援法の制定に、私が関わったことから「前非を悔いてやめたのだろう」と言ったとの話を聞き、あまりの見当外れに笑いこけたり、あるグループでは「国立病院機構で業者と癒着して辞める」という噂がたち、そんな奴が建築コストを半分にできるものかとあきれたりと、個人的には、無責任な噂が流れることを、面白がっていた時期でした。

 

しかし、私の両親に、これをどう伝えるかは真剣に考えました。私は、いわば彼らの「夢」を代わって実現するという立場だったからです。
早めに言うと大騒ぎになるし・・・
寒い時期に言うとショックのあまり・・・
と色々考えて、辞める前月、2月に出張のついでに実家に戻り、あっさりと辞めることを伝え、翌日早々に、また別の病院訪問へ出ることにしました。
その後、両親は、数カ月は、その事実が受け入れられず泣いたりしていたようです。辞めて4年、今では、姉のこともあり、私の自由な状態を喜んでくれてはいます。
また、私の配偶者の父は、幸いなことに、辞める時はあまり強い心配を示したりしませんでしたが、今でも、娘(私の配偶者)に、「なんで辞めたのか」と聞くのには、困ったものです。

 

予想外だったのは、配偶者の反応です。
退職願を出して相当時間を経過して、次の仕事を決めた12月ごろに、「辞めるよ」と話を切り出したところ、長女と次女は「私たちどうなるの」と当然のように心配していましたが、配偶者からは「よく持ちましたね。10年続かないと思っていました。でも辞めてもらってホットしています。厚生労働省は新聞でも色々書かれて、あなたが関係ないとわかっていても、税金で食べてることに何となく後ろめたい感じがしていたので。」「それから生活の面は、あなたが何とかするのでしょうから 心配はしてません。」との反応でした。
そこまであっさり言われると、色々と説明を考えていた私としては。拍子抜けした感じでした。

(本人は こんなにえらそうに言った覚えはないと言っています。今や昔の話です。)

 

辞めることを伝える。私の場合は。「案ずるより産むが易し」の通りでしたが、一度決めたら変えない人間・決めたらやり抜く人間と思われていたことが、幸いしたのでしょうか。
これが他の家庭だったら・・・考えるのもゾッとします。