親と歩く5 越前和紙の由来は「継体天皇の時代」まで遡る

2012年3月12日

今月は、両親と福井県越前市(旧今立町)にある「越前和紙の里」に行きました。

昨日は、「春一番」の強い風が吹きましたが、本日は、一転して雪模様(両親からは、私が福井に戻ると寒くなり雪が降ると言われています)。我が家の近くは、それほどでもありませんでしたが、一般道を走って30分程度のところにある「越前和紙の里」では、結構な霰・雪となっていました。

最初に行ったのは、「紙の文化博物館」です。

ここには、越前和紙にゆかりの深い横山大観氏・平山郁夫氏ら日本画の巨匠らとの交流のを示す展示のほか、世界最大(7.1×4.3m)の手漉き和紙「IMADATE平成大紙」、一枚の越前和紙から作り上げた数百羽の「連鶴」、越前和紙を使った「お札」など、多彩な展示がありました。 

そこで越前和紙の由来を初めて見ましたが、1500年程前に、継体天皇の子供が、この里に紙漉きの技術を伝えたとの伝承があり、「川上御前」として、全国唯一の紙祖神が大瀧神社で祀られているとのこと。昔、神社フリークだった私にとっては、面白い発見でした。

両親は、江戸時代最初の藩札(福井藩が発行)や、明治維新の際に発行された太政官札のほか、特に、戦前戦後からのお札を興味深く見ていました。「あれは知っている」「こんなのもあった」「あの頃は・・・」と、昔の記憶をお札が呼び戻したようです。

ただ、最近、膝が痛み出した母は、2Fの展示への移動に、少々疲れたようでした。

 

次は、実際に紙漉きを実演してくれる「卯立の工芸館」でした。

江戸時代中期の紙漉き家屋を移転復元した施設の中で、「神技ではありません。紙の技です。」などと、面白おかしく、話をされながら実演をされるのですが、さすがに伝統の技(写真)と感心するばかりでした。両親も、その昔、姉と越前和紙の里に来たことがあるようですが、紙漉き自体は見なかったようで、この日で、一番、時間をかけて魅入っていました。

実演の人も言っていましたが、こうした次代に残すべき伝統技術を受け継ぐ人が限られている=その技術を使った商品を買う人が減っているという現代は残念なことです。特に、現役世代の減少が著しい福井では、これをどう残すのか、どう世界に売っていくのかが大事な課題です。

 

最後に、私としては、珍しく、東京の家族に、食べ物以外のお土産(和紙製品)を購入しましたが、どう反応されるか楽しみです。

ちなみに、今回は、高齢者も入場料をとっていました。

安かったですが、これが当たり前だよと、両親も言っていました。だんだんと、高齢者だけが優遇される時代はおかしいと私の「洗脳」が定着し始めたようです。