2024年11月22日
季節は小雪~冷たい雨が雪に変わり始めるころの季節。東京・福井の移動中に、山の上に白いものが見える時期です。
長男は就職面接連敗の冬を超えて、社会人としてスタートを切りました。
我が家は、高校卒業後5年間は生活費・学費は保障するというルールで子供たちの一人暮らしを勧めてきましたが、長男も本年3月で高校卒業後5年を経過しました。大学浪人の2年間のあとは、建築デザイン系の専門学校を3年の計5年でした。
在学中の就職活動は本人に任せていましたが、結果はうまくいかず・・4月からは就職浪人という2回目の浪人生活に突入。生活費の保障期間も終了したので、一旦、東京の家に戻って、腰を落ち着けて就職活動を行うように促しました。もちろん「大人」ですから、毎月の生活費等として〇万円を奥方に支払うという条付きです。
その受入れのために夫婦2人で5年暮らしていた家の配置換え=長男の居住スペースの確保が最初の難題でした。福井での母親宅の改修に伴う物品の廃棄・家具の移動と並行して、東京でも小規模ながら同じことをするのは大変でしたが、奥方の溢れる物品を収納する空間を新奥方部屋に完成させ、長男の部屋の襖の張替えも自前で行って準備は完了・・あとは長男の普通の就職努力を期待するだけと思いましたが、そう簡単には行きませんでした。
まずは〇万円の生活費を稼ぐためにバイトを決めて来いと言いましたが、数か月たっても決まりません。
奥方によれば、就職活動と並行して行っているとのことでしたが、学生時代にそれなりにバイトしていた長男が、バイトも決まらないのは、人手不足といわれる時代に不思議でした。奥方によれば、本人曰く、「面接では良い雰囲気なのだが、結果は不採用続き。髪型が嫌われていると思う。」とのことです。確かに頭は剃って外観に問題がありそうですが、それだけで不採用とは思えませんでした。
応募している先が、本人の過大な希望で偏っているのかと疑い、面接に行った先のリストの提出を命じましたが、見ると種々の業界の何十もの会社名が並んでおり、私の単なる杞憂でした。
次に疑ったのが面接時の態度でした。これは私では確認できませんので、知人の社長に無理な依頼しました。長男の採用面接を実際にしてもらい、何が良くて何が悪いかを評価して欲しいという依頼です。
当初は、実際に採用をお願いした訳ではありません。自分が長男の立場でも親の関係で就職するというのは嫌だと考えるはずですし、仮に採用されると私自身が社長に「大きな借り」を作ったという気になるのも嫌だったからです。
しかし、社長と私の双方を知る友人から「目の前にあるチャンスを手にするかどうかは本人の能力。借りを作るなどと、小さいことを気にせずにチャンスを提供することだけに専念しなさい。」と助言されました。私も考えを改めて、一次面接前の長男に対して、「大した学歴もなく、学生時の就職活動にも失敗した、外見の好ましくない人という先入観で、相手は君を見ているとの前提で考えろ。これまでの選択は自分で行ってきたことだから、言い訳言わずに、どんなことでもチャンスをつかめ。」との旨を伝えました。
私は厳しめに気合を入れたつもりでしたが、本人は、「父親が自分のことを学歴もないダメな奴と思っていた・・」と勘違いしたようで、奥方も宥めるのに大変だったようです。
その後、一次面接、役員面接を経て、社長から会社に来てほしいと言われて、長男は最終的にはOKしました。まずは3か月の試用期間が11月1日から始まり、10日ほどで生じた「山場」も社長の大人の対応に救われ、社会人として3週間を無事経過しました。
試用期間終了時に、会社が断るか、本人が断るか、それとも役割・居場所を双方が見つけるか・・ここから先は当事者にお任せです。これで親としての仕事は本当に終わったという実感です。
なお、一次面接に出かけようとした長男の服装を見た奥方が驚いたようです。
絵具で汚れたパンツで行こうとした長男を制止。他に無いのかと聞いたら「無い」の回答。やむなく、目立たぬよう黒の絵具で塗りつぶして行かせたとのこと。他の面接も同じ服装で行ったとのことで、問題は「髪型」ではなく「服装」だったのでは という夫婦の共通理解に・・
役員面接の前、試用期間開始の前に、それなりの衣服を奥方が買いに行ったのは言うまでもありません。