2022年1月30日
本日は父親の3回忌。2年前のことを思い出しました。
2020年正月の親戚一同との温泉一泊のあと、父親はモチベーションが下がったらしく・・反応も少なくなり、ほとんど経口で栄養摂取もしなくなったとの連絡を受けました。
このまま「安らかに・・」病院で最期を迎えるのも選択肢ですが、父親の体力が残っている今のうちに、一時退院で老健ショートステイ利用~最後の日に自宅で一泊できないかと考え、担当医に「まだ体力のあるうちに、一時退院して在宅で一泊させたい」「前回利用した老健に空きがあるか確認して欲しい」と伝えて、福井を出たのは2年前の1月上旬でした。
その後、メールでのやりとりがあり、私が福井に着く1月末に退院~最終日の自宅一泊は福井に戻ってから調整・・と関係者の皆さんと合意しました。
退院当日、長期の地方出張で、だいぶ疲れて福井に戻りましたが、そのまま退院~入所の手続き・・病院スタッフ等と在宅一泊時のサービスの打ち合わせ、夜の痰吸引担当として私自ら「吸引のにわか勉強」と、駆け足で1日を終えましたが、正月の外泊の成功もあってか、病院スタッフの皆さんは協力的と感じられ、何となく、うまく行きそうに思えましたが、ここで落とし穴がありました。
老健入所後、父親は安定していたのですが・・その後父親の状況が変わったと母親から聞きました。
「激しく咳き込んで、その対応に老健スタッフが時間を要していた」
「そのうちに大勢の人がやってきて痰の吸引に成功して落ち着いた」
「咳き込む時間が長かったせいか、呼吸が浅くなり、酸素不足の症状で顔色が悪く、手足も冷たく・・」
「老健から聞かれて、酸素補給をすることにした結果、落ちついた」
翌日午後、老健を訪問して状況を直接確認・・「夜は酸素補給がお互いのため」「試しに朝に酸素止めるとどうなるかを知りたい」「止めると数値が悪くなるのなら酸素補給~判断は任せます」と、在宅一泊を念頭にお願いしました。
もし、酸素が必須なら「在宅用に設備レンタルも必要になる」と考えたからです。しかし、残念ながら、夜の状態も思わしくなく、酸素補給量も増えたようでした。
翌日、施設に訪問した際には、わざわざ施設長(医師)が出てきて、
「無事に病院に送り返すのが役目なので、安全第一にやりたい(酸素は継続する)」
「在宅に戻るのは難しいので、直接病院に戻ってもらう(病院に戻ってから外泊で)」
との2点を強調されました。
在宅云々は、本来、施設側の判断ではないと思いましたが、「施設の責任を問われる可能性のあることはさせたくない」との意図と理解して、今回の在宅一泊はあきらめることにしたのは1月末日でした。
私が東京に戻る2月4日朝、父親は無事に病院に再入院~酸素は継続中でしたが、昨日は風呂にも入って、落ち着きを見せていました。
「これなら今月後半に、外出・外泊できるか・・」と思って、父親に直接、福井に戻る次回の予定を伝えて、東京へ移動しましたが、その到着した夜に、父親が死んだとの連絡をもらいました。
翌早朝には福井に逆戻り、遺体を自宅に移したあと、通夜・葬儀の段取り、葬儀社・病院等への支払準備、 遠方親戚のお迎えなど・・一通り終えて、通夜が始まったのは、期せずして私の誕生日でした。
あれから2年を経過し、今年の親戚温泉旅行は、宿は父親が最後に行った同じ場所でしたが、メンバーは第3世代中心に、すっかり様変わり。
その間、49日、相続財産調査・税納付、1周忌の他、単身独居となる母親の生活安定策の構築など、一通りの経験はしました。また、私の長女夫妻が、福井で数年空き家だった父親の兄の家に、東京から移住することになったり、次女が、パートナーを連れて今回の親戚温泉一泊に参加するなど、当時は想像できない展開もありました。
こうした2年間にあったことを、遺影で笑う父親(写真)がどう思っているのか聞いてみたいものです。