親と歩く76 父親 芦原温泉で親戚一同と新年を迎える

2020年1月1日

例年、年末には親戚一同で温泉一泊~ここ数年は新年を温泉で迎えています。
今回も夏に宿の手配を始めましたが、既に父親は末期ガンと診断され、担当医の診立ては「年内には・・」という話でしたので、「実現しても父親抜きか・・」と考えてましたが、念のためバリアフリーの部屋のある宿~例年より割高でしたが、予約して父親の推移を見守ることにしました。
 
 
さて、前回のコラムにあるように、11月に父親の一時退院、ショートステイ利用の話が出てから、実際に行くための準備が始まりました。
それまでベッドでの生活だけでしたが、寝たたままで移乗できるフルフラットの車椅子等をレンタル~病院には、毎日1時間は座らせてみること(車椅子で施設に行くことを念頭に)を依頼しました。
実際に一時退院は、車椅子に座っての移動が実現したので、ショートステイの生活を観察してましたが、病院よりは活動的な様子~可能性ありと、設備と人員の手配に本格的にとりかかり、某法人で親しくしていた専門職2名の協力を取りつけ、30日から1日までの日程と移動手段を確保し、30日の病院との最終打ち合わせを迎えました。
 
 
事前の情報では、父親が「ほとんど食べない」「血圧が低下した」というネガティブな情報や、母親が担当医の1人から「病院でお孫さんとゆっくり過ごしたら」と言われたとの情報もありましたが、「病院側の意見を聞いて最終的に行くか決める」という当初方針にしたがって、打ち合わせに臨みました。
もう1人の担当医から、「温泉に行くという前提で、種々、試してみたが、あまり状態がよくなったわけではない」「ただ、血圧他のバイタルは安定している」「あとは本人、家族の希望~リスクはあるが」という話を聞き、温泉行きを決めました。もちろん同行する知人の意見も聞いてです。
その後、父親の元に行き、温泉行きの報告と同行する知人の紹介をすると、父親が満面の笑み・・30分ほど前に、病院のスタッフから「温泉行きたいですか?」と確認されていたときは、反応が乏しかったのに比べると驚くような反応です。よほど温泉行きが楽しみだったのか、初めて見る人への愛想なのかは、本人だけが知るところですが・・
 
 
大晦日の午後に、多数の病院スタッフのお見送りで介護タクシーにて病院出発~ゆっくり走って1時間で温泉宿に到着~ベッドに移乗一休みという基本ロジは無事に終了。
こちらは別動で、荷物一式の搬送~先乗りチェックイン~部屋の確認(ベッド移乗の空間確保のために設備移動)と、20年以上前の大使館勤務時代の要人ロジの対応と同じような段取りも終えて、第1段階は終了です。
17時頃には、参加者全員~私の子供も、温泉一泊に初めて3人全員が揃い、それぞれ年末のご挨拶。
定刻通りに、食前酒で乾杯~父親は、その場で知人が加工したトロミ付で乾杯~で夕食も始まりました。
父親は、見栄えのする食事に触発されたか、いくつかをムースへと知人に加工してもらい、予想以上に食べていました。味付けが濃いのも気に入ったのでしょう。
その後、各自からの近況報告、全員・一家ごとの記念写真、宝引きと例年通りの行事が続きましたが、ここまで約3時間。父親が車椅子に座って楽しそうに過ごすのを見て、少々、感極まりかけました(苦笑)
特に、宝引きで、「お年玉」が当たったときの父親の表情は、元気な頃を思い出させました。これで第2 段階も無事に終了です。
 
 
元日朝には、お節料理と雑煮が出ましたが、いくつかは食べていました。普段は昼だけ~それもあまり食べないのですが、「飲み込む力はあるが、食べるモチベーションが低下している様子」との担当医の話も実証されました。
ただ、深夜には咳き込んで、タンが切れずに苦しんでいたようで、知人が対応してくれたとのこと・・同室だった奥方が「私では無理だった」「来てもらって良かった」と感謝を繰り返ししていました。その後、介護タクシーで自宅経由で病院へ移動~特に問題もないことが確認されて、最終段階も終了です。
病院の方からは、「血圧低下などあって、本当に行けるとは思わなかった。」「こんなに大勢の人が来て(写真見て)、楽しかったでしょうね」と言われたようですし、母親からは、「本当に行って良かった」と、行きたくないとの常々の発言とは違う感想も聞けたようです。本人の頑張りと周囲と知人のサポートで無事に終了して何よりでした。
 
 
父親も、病院でも少しは食べたようですが、そのうち目標がなくなってモチベーションが下がるでしょう。2月に自宅で一泊でも考えようかとは思いますが、その前に、一連で疲れた自分の心身を休めることにします。
最後に、今回のトライアルにご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。