親と歩く71 父親入院 5年前に診断を受けた病気が進行

2019年6月10日

5月25日に、福井から、父親が救急で運ばれ入院したとの一報がありました。
早朝から畑で働き出し昼になっても戻って来ないので、母親が様子を見に行ったら、蹲って動けなくなっていたとのこと。以前から、「1時間働いたら3~4時間休め」と伝えていたのですが、そんな心配に耳を傾けることもなく、相変わらず暑い中で重労働をしていたからだろう・・人の言うこと聞かない困った奴 というのが私の最初の受け止めでした。

その後、脳卒中センターに入ったとの第2報が届きました。祖母も姉も叔父も同じ病気を患ったことを思い出し、家系か・・と自分の行く末も考えつつ、今時、早期に見つかれば治療効果も高いと一安心。

 

しかし、数日後、脳梗塞の治療を受けても症状が改善しないとの第3報を受け、それなら5年前に伝えられた悪性リンパ腫が進行したのだな・・と考え、当時のやり取り(通信Vol.78 病気を見る医師 人を診る医師に記載)を思い出しました。
しかも、今回の入院先は、5年前に父親が抗がん剤治療を始めた直後に「脱走した」病院。救急車に乗るとき、5年前の経過を知る周囲は、他の公的病院を勧めたようですが、父親は何と脱走した病院を選択・・さらに当時の担当医も健在とのこと。面倒なことになりそうだ・・と思いながら福井に到着しました。

 

病理の結果が出るのは10日以上先と聞いていたので、当分治療は始まらないだろうから、とりあえず現況確認をしようと、窓口となっている叔母経由で担当医の面談を申し込みました。面談の当日、急遽、患者本人同席でないと話はできないと病院側が言い出し、違和感満載で・・父親同席の面談となりましたが、腫瘍マーカーで悪性リンパ腫が確定したので、病理の結果を待たずに今後の治療を相談するというのが病院側の意図だったようです。
それなら、父親同席の意味を事前に伝えてくれれば良いのですが、5年前と同じく一方通行=相手の納得は重視しないのは同じ・・担当医も耳が聞こえない父親相手に、早口で専門用語を連発、最後は医師の顔を見て何とか理解しようとする父親に、検査結果を示すモニターを叩いて「ここを見て」と連呼してました。

見かねて、「あとで私から話しますから、今後の治療方針を・・父親が最も気にしているので」と水を向け、診断の妥当性の説明から、やっと今後の話になりました。

 

結局、今週から放射線治療を始める~その目的は、左半身麻痺の原因となっている頚髄内の腫瘍を小さくし、麻痺の状態を緩和する~ことが決まりました。しかし、その理由等について、父親は十分に理解していないことは明らかでしたので、次の旨の文書を父親と母親に読んでもらいました。
本日、放射線治療開始(痛みは緩和したとのこと)。これから父親の最終段階を一緒に歩くことになります。

 

【医療関係の仕事の長い博一の考え】
5年前から始まる一連の出来事
5年前に他の公的病院で別の医師の意見を冷静に聞く機会もつくり、その段階での治療開始も期待はしたが、父の判断は「治療しない」というものだった。当時、治療しないと、平均的には3年で死に至ると告げられていたが、3年は無事超えて、5年を経過した。今回は、悪性リンパ腫が再発したのではなく、5年前からゆっくり進行してきたのだが、この間、元気に過ごせてよかったというのが実感。

 

これからどうするか~どう生きるか、どう最期を迎えるか
まず、現在の病状の患者に残された平均的な時間は約半年である。5年経って、3年が半年に縮んだことになる。もちろん、半年より短い人もいれば、倍も生きる人はいるので、父が、どれほど生きるか、いつ最期を迎えるかはわからない。これまでの平均3年を超えてきた実績からして、今回も長くなる可能性は高い。
しかし、5年前より、残された時間は少なくなっていることは間違いなく、博一としては、病気の根治に苦しむのではなく、これまで以上に、病気とうまく付き合い(苦痛を減らす放射線治療などを受け)ながら、楽しみや嬉しさを感じつつ、天寿を迎えて欲しいと考えている。
昨日、博一から担当医に、8月11日の温泉一泊(親戚一同の叔父の退任祝い)の話をしたが、「2か月あるので治療計画も考える」との回答があり、ついでに年末温泉(親戚一同の恒例行事)もと言ったら考えるとのこと。今週行けなかった徳光(私の配偶者の両親が住む地名)との旅行も、父の健康と相談しながらであるが、10月に実施を考えるつもりである。
まずは、8月の退任祝いを楽しみに毎日を過ごして欲しい。まあ、先のことはわからないので、またも数年生きるかもしれないが、今は先を考えても時間の無駄。博一も今週できることは頑張って処理したので、父も無駄に過去を振り返ることなく、また、わからない先を無駄に心配せずに、今できることを無理せず頑張って欲しい。

 

最期に

個人的な考えだが、がんという病気で最期を迎えるのは、交通事故や心臓疾患などで急に死ぬのに比べたら、はるかに良い最期だと思っている。必ず一度は死ぬのだから、それを準備して迎えるか、何もせずに後に任せるかの選択と考えれば・・博一は、準備する時間があるほうがよい。できれば、父のように、進行の遅い高齢期にがんになり、準備して死ぬことがよいと考えている。
父母がどう考えるかは、お任せするが・・8月に温泉に行った時にでも聞かせて欲しい。