親と歩く68 手がへにゃへにゃ 父親は豪雪の後遺症・・

2018年2月23日

前回私が福井を出た翌日~2月4日から福井で降り始めた雪は4日間続きました。
4日間の降雪量は計141㎝~最深積雪量は147㎝と、私が大学受験した1981年1月の豪雪に並ぶと言われました。

 

今回、福井に戻ったのは、雪が収まってから約2週間経ってからでした。
家に戻る前に、福井城址の周辺を見て歩きましたが、確かに雪は道の脇に高く積みあがってはいますが、1981年のときのように、城址の堀に雪が積み上がっているわけでもなく、1981年に並ぶ豪雪だったという実感が湧きません。
それでも家に戻ると、父親が大事にしていた庭の植木の中には、無残に折れているものがあり、短期間で大量に降った雪の威力が感じられます。また、町内を歩くと、未だに雪で車が通れない道もあるなど、除雪も遅れているようです。

 

両親に聞くと、「博一が受験した1981年の時より大変だった。」「交換した携帯を取りに行こうと思ったが身動き取れなかった。」との言葉が続き、さらに「屋根に1度上って、大屋根も西側だけ雪を降ろした。」という言葉に驚きました。東京から連絡したときは、「小屋根だけ降ろす。雪が酷くなったら相続した兄の家に行く。」と言っていたからです。
小柄な父親とは言え、自分と同じような高さに積もった屋根の雪を目の前にして、働き者の血が騒いだのでしょうが・・「少しは、自分の年齢を考えて行動しろ。」と言いそうになりました。しかし、普段雪かきなどをお願いしている知人から、「雪で家から身動き取れなかった。」、「普通30分のところが数時間かかった。」と聞いたことを思い出し・・仮に助けを求めてもダメだったのかと気づいて、「ご苦労さんでした。」と両親に言うしかありませんでした。

 

37年前、父親は今の私より若い年齢・・共通一次試験前でしたが、父親が言った「受験は来年もあるが、家は来年ないかもしれない」という名言に従い、私も父親と大屋根の雪降ろしを何度もしましたが、今回、私が福井にいても、あまり役にたたなかったことでしょう。

降雪量という数字の上では、今回は当時の半分くらいですが、37年の年月が、雪の大変さを倍以上に感じさせるようになったに違いありません。

 

また、夕食中に、母親は「お父さんは、雪かきしてから手が『へにゃへにゃ』になった」と聞きなれないことを言い出しました。

父親は、雪かきの無理がたたってか、箸を持って食事ができない状態になったらしく・・医者嫌いでも、さすがに外科に行ったところ、「両腕の神経が痛んでいる」との診断を受けたとのこと。治らないのではないかと心配していたようで、私から「ゆっくりしてれば治ると医者に言われたろ。」と念を押されて、ホッとした顔をするところなどは、少し子供じみてきたようです。
それにも関わらず、家の周囲の雪を処理しようとするので、「腕を直したいなら安静にしていろ。雪はいずれ溶けるから。」と意見して、やっと安静にしていることに納得したようです。

 

本日、天気も良い(写真)ので、予定の日程を繰り上げ、いつもの日帰り温泉へ。

父親の養生もかねて、長めの温泉滞在です。帰りに立ち寄った定食屋では、父親のために、フォークとスプーンをお願いしました。
治るのにはしばらくかかるでしょうが、だんだん幼子の面倒をみている気分になってきました・・