親と歩く64 祖父の50回忌、祖母の25回忌の法要を終える

2017年8月12日

本日は航空安全の日。日航機123便が御巣鷹山に墜落し、520人もの犠牲者を出した日です。
年忌法要で言えば、今回は33回忌・・仏教では、死者は33年目にはどんな人でも無罪になって極楽浄土に行くと言われています。犠牲者の方々のご冥福を改めて祈らずにはいられません。

 

さて、期せずして、この日に祖父と祖母の年忌法要が行われました。
祖父が亡くなったのは私が小学校入学の頃・・父親が白装束で裃を着て喪主を務めていた記憶だけがあります。当時、父親は40歳手前。あれから50年近い時が過ぎました。
祖母が亡くなったのは、私の次女が生まれた年・・3歳手前の長女と生まれたばかりの次女を連れて奥方とともに旧盆の福井に戻り、病院にお見舞いに行った記憶があります。その夜に祖母は息を引き取り、お盆休みは祖母の葬儀に・・当時の福井らしく自宅での葬儀に届いた数多くの花を、幼い長女が不思議そうに見ていたのが印象的です。あれから25年近い時が過ぎ、長女も次女も社会人です。

 

今回は、祖母の25回忌~23回忌と27回忌を併合して行う法要にあわせて、祖父の50回忌を行うことに。出席者は、祖母を知る福井の親戚のほか、東京在住の私の家族。夏休みの豪州への短期留学を終えたばかりの長男は数日前に私たちと一緒に福井へ・・しかし、社会人の長女、次女は本日早朝に東京を出るという忙しい日程です。それも涼しさも感じた東京から暑さが続く福井への移動は疲れるものです。
今どき、田舎に住む祖父母と都会の孫とは疎遠になりがちですが、自分たちが生まれた頃に亡くなった曾祖母の法事にわざわざ来るのは珍しいのかもしれません。実際に住んだことはありませんが、20年以上、旧盆と正月に、福井に家族で戻っていた効果で、福井を自分の故郷と思う気持ちがあるのでしょう。
祖父母も曾孫の顔ぶれを見ることができて喜んでいるに違いありません。

 

私の中学の同級生の住職が、福井らしい巨大な仏壇の前で浄土三部経を始めました(写真)。
先月まで揉めていた父親と叔母が並んで座っていたり、曾祖夫母をほとんど知らない子供たちが神妙な顔で座っているのを見ると、なぜか面白く見えます。また、車いすで参加した姉・・いつもは傍若無人のSNSを発信しているのが、感極まったか泣き出す姿を見ると、人の不思議さを感じます。
時間通りに法事を終了し、近くの店での「御斎」に。ひとしきり昔話~〇〇が死んだとき幾つだったといった話がなされ、全員が年を取ったことを再確認してお開きです。
その後自宅で、長女の挙式の案内状が手渡され、話題は一転して、お相手のスコットランド人に関する「事情聴取」の場に。曾祖父母も賑やかな一日だったに違いありません。

 

次は、8年後の祖母の33回忌~弔い上げとなる節目ですが、きっと私が法事を主催することになるのでしょう。今回の法事を終えて、主催した両親は肩の荷を下ろした感がうかがえます。先のことはわかりませんが、90歳代が居並ぶ法事の様子を想像すると・・いろいろと考えさせられます。
年忌法要の概念が決まった頃に比べると、飛躍的に長生きになった現在。こうした法事などの慣習も、若い世代に負担をかけるのかもしれません。福井で暮らす私は、子供のなかった叔父の供養も含めて、生きている間は避けて通れないでしょうが、東京などで暮らす子供の世代には負担はかけたくないものです。福井にある墓や仏壇を、どう片づけていくか・・これも私への宿題でしょう。

 

まずは、2週間後の叔父の一周忌を無事終えることからです。
孫代わりの私の子供も2人は参加予定・・賑やかな会になりますように。