親と歩く61 新緑も鮮やかな山並みを遠景に 紙の神様に参る

2017年4月28日

今年の1月から、月の前半は東京、後半は福井と私の行動パターンを変えました。50歳も半ばになると、月2回の往復は、さすがに疲れを感じるようになってきたからです。
そのせいか、親との外出も福井にいる間に2回は日帰り温泉には行くものの、その前に名所に立ち寄る機会は減ってしまいました。
しかし、新緑も鮮やかなこの季節、親と一緒に外出を再開することにしました。

 

数日前、玄関で大声がするので顔を出してみると父親が怒った顔でいました。少し話しかけると「声が小さくてわからん」と怒鳴り、指示通り大声で話すと「大声で怒るような話をするな」と吠える・・さすがに頭に来て、その場を無言で立ち去り、その後、こちらから話しかけることはしませんでした。
ちょっとした親子の諍いですが、当の本人は頭が痛いと夕食もとらずに寝てしまい、翌日は何があったか忘れたような風情・・こちらも疲れ気味のため相手にするのも馬鹿らしく、存在を無視して本日を迎えました。

 

忙しいのもあって、本日の外出はキャンセルしようかとも一瞬思いましたが、奥方が実家の法事で福井に戻るのを迎える予定もあり、「考えていることが子供じみている」と自らに言い聞かせて、自宅を出発です。
奥方を拾って、両親とともに奥方の実家に向かうと、新緑も鮮やかな文殊山が見えてきました。ちょうど1300年前に泰澄大師が開山したと言われるこの山の麓で生まれ育った奥方は、後部座席の両親に「文殊山の新緑が奇麗ですね」と一生懸命に話しかけるのですが、耳が遠くなった2人は。それぞれ大きな声で話をします。それも別々の内容なのですが、何となく2人の間では話をしている感じが漂います。

それが可笑しくもあり、老いを感じて物悲しくも思えます。まあ、少々、コミュケーションに難があっても、元気でいるうちが華かと・・数日前の件を忘れることに。新緑のお陰で、私の気分も戻ったようです。

 

私の両親と奥方の両親が玄関先でひとしきり話をしてから、3人で出発です。
目指すは、全国でも唯一、紙の神様「川上御前」を祀っている岡太神社・大瀧神社です。
以前、3人で近くの越前和紙の里に一緒に行ったことがありますが、その時には、この神社には行っていません。春と秋の例祭には、「紙能楽」「紙神楽」といった珍しい舞が奉納されるとのこと・・春の例祭は5月の連休中のため、今回見ることができないのが残念です。
それでも神社に到着すると、鶯の啼声が聞こえ、いかにも春らしい風情です。
江戸時代末期の建築された本拝殿や巨大なご神木も周囲の新緑に映え、美しく見えます。

 

2人は、急な階段でしたが、それぞれに階段を上って参拝・・父親は神木の前で佇んだり、見上げたり、資料を読んだり(写真)。最後には、記帳するなど、この地がいたく気に入ったようです。もし、朝の段階で外出を止めていたら・・こうした長閑な状況にはなりませんでしたので、自分の感情を収めたことを自分で褒めていました。「誰も褒めてくれないので、自分で自分を褒める」・・そう言えば、移動中の車内で父親が同じことを言っていました。私も父親に似ているよう・・年をとると父親のような行動になるのかと少々心配です。

 

3人で神社に来れたことの御礼を、「川上御前」にお伝えして、さらに山奥の日帰り温泉に向かいました。
そこも新緑が鮮やかだったことは言うまでもありません。