親と歩く50 傘寿の母親 白山の麓で温泉に浸かる

2015年10月13日

昨日は母親の80回目の誕生日~傘寿を迎えました。

 

「80回にもなると特に目出度くもない。」と、朝から何度か口では言っていましたが、孫(私の次女)からの電話を受け、お祝いにプレゼントを贈ったという言葉を聞いて、嬉しそうな表情を見ると、思わず吹き出しそうになります。

 

また、福井に戻る前に、奥方から「何かして差し上げてください。」との指示を受けたこともあり、夜は、両親と3人で、母親の好きな越前蕎麦の店に。毎月2回は3人で外食ですので、特に、お祝いという雰囲気でもありませんが・・ノンアルコール・ビールで乾杯となりました。
しかし、母親から私には、お礼の言葉はなく、いつも通り父親の生活態度に関する『告げ口』が出ます。
母親が「大事にしまっていた私の運動靴を勝手に履いた。」と口火を切ると、父親は「買ってから数か月経っても履かないので要らないのだろうと思って、サイズが合うので試しに朝の散歩で履いた。」と反論すると・・・あとは、どうでもよいやりとりが何回か続きました。私の前で、お互いに言い合うのが、この数年で定着したようですが、聞き役の私も、随分と我慢強くなったものと苦笑いです。

 

本日昼、いつも通りの時刻に出発です。
3年前には、白山スーパー林道という名称でしたが、現在は、白山白川郷ホワイトロードと名称変更。料金所でパンフレットをもらいましたが、80歳を超えた2人には、それには関心がなさそうです。それより窓の外の景色が紅葉ではないことに、気をとられています。
「紅葉には、まだ早いのね。」と、私が来る時期を間違えたかのように、2人で話を始めました。本人たちは小声で話しているつもりのようですが、2人とも耳が遠くなっているので、相当大声での会話です。それでも聞こえないふりをして・・いや、何を言っても聞こえないので無駄と考え、2人を無視して前に進みます。

 

標高1千mを超えると、紅葉も見頃に。雲の合間から日差しも出て、鮮やかな景色(写真)に変わりました。そうすると、「綺麗な景色だ。今が見頃。」と、先ほどの話を、すっかり忘れたかのような会話に変わります。

母親は、「中国の三峡下りより、ここのほうが綺麗だろう。」と続け、そこから、何故か私が中国に勤務していた頃の話に変わりました。当時、母親は還暦ですが、あれから20年経過したにも関わらず、中国の私の自宅の電話番号を覚えていると自慢していました。私は何も覚えていませんが、高齢者の記憶というものは不思議なものです。

 

さて、こうした会話を経て、坂道をゆっくりと走り峠のトンネルに着く頃には、2人は美しさに見とれてか静かになっていました。3年前に来た時には、「この世の見納めか」と言っていましたが、今回は、「こんなに遊んでいてばちが当たるかも」とのコメントでした。
その後、白山麓の温泉施設に立ち寄り、少々、冷えた体を温めましたが、湯量も豊富で2人とも満足したようでした。

続いて、母親の希望の牛丼屋で夕食を摂り、本日の予定を終了です。安上がりの傘寿の祝いでしたが、それなりに記憶には残ったことでしょう。

 

しかし、3年前は、白山で紅葉を見た翌月に、母親が玄関先で転倒し圧迫骨折・・
今回は、こうした事故もなく、12月の父親の誕生日を迎えたいものです。