親と歩く49 お彼岸の中日 墓所3か所をハシゴする

2015年9月23日

本日は、秋彼岸の中日。朝から良い天気です。
今回は、知人のFacebookで見かけた「はたや記念館 ゆめおーれ勝山」に向かいます。

 

母親は40年間、福井の基幹産業であった織物業~機屋(はたや)で働いていました。共働きが当たり前の福井で、姉や私を祖母に預けて早朝から働き、姉や私を東京の大学に送ってもらいましたが、そうした経歴から、今回の「はたや記念館」に関心を持つと思っての選択です。
いつも通り、行先のHPを印刷して冷蔵庫の横に貼っておきましたが、昨日、母親から一つの依頼が・・記念館への行き返りに、自分の姉と弟の墓に参りたいとのことです。概ね経路上にあることから、特に考えることもなく了解をして、本日を迎えました。

 

昼過ぎに家を出て、最初の目的地と思われる母親の姉の墓に向かおうと、ある交差点でハンドルを左に切ると、後部座席に座っている両親から、「道が違う!」と大きな声がかけられました。何かと思うと、まずは我が家の墓に向かうとのこと。そんな話は聞いていませんでしたが、やむを得ず次の角を右に曲がると、また「道が違う!」と声が出ます。何でも自分の考え通りに進めないと気が済まない父親の悪い癖に、少々、ムッとしましたが、黙って車を進めると、やがて墓所に辿り着くことを自分で気がついたようで、「この道でも行けるのか」と気楽なものです。

 

我が家の墓に着いて、はじめて本日がお彼岸の中日であることに気がつきました。私自身は夏のお盆の墓参りだけですので、なぜ母親が姉弟の墓に行きたいと言い出したのか理由はわかりませんでしたが、墓所に数名のお参りの人がいるのを見て、墓参りに行きたいと言い出した意味が、やっとわかりました。そして、両親が最初に我が家の墓に行くと考えたのも当たり前かと理解しました。習慣がないと、こうしたことは直ぐにはわからないものです。

 

続いて、母親の姉の墓参りです。一昨年も来たような気がしますが、今年のような鮮やかな彼岸花(写真)が咲いていた記憶はありません。さっきまで車中で言い合っていた両親2人は、仲良くお参りをしています。
我が家の墓所からの車中、我が家の法名碑を見て、祖母(父親の実母)が亡くなった年齢まで2年と、父親は気づいたようで、盛んに「あと2年!」と繰り返していましたが、母親は「そんなことを言っている間は死なないもの。残念ながら。」と、そっけない返事でした。私も、「あと2年も生きるつもりなのか。これは大変だ。」と、からかっていましたが・・

 

目的地のはたや記念館でも、2人は仲良く見学です。子供を育てるために、辛い仕事を長年してきたという気持ちが、それぞれ浮かんできたのでしょう。「よく頑張ったな」「お互いに」と、珍しく意見があっていました。母親に促されて、足が痛く階段が辛い父親が車椅子に乗り、その母親に押されて移動していたので、より仲良く見えたのでしょうか。記念館のスタッフ(70歳)の方から、「まだ若い。あと10年は生きられる。」と太鼓判を押されていましたが、父親は階段沿いのリフトに初乗車、母親は別の駐車場に向かい迷子寸前という、なかなか得難い体験をして記念館を後に。そこから母親の弟の墓参りも無事済ませ、本日の3か所の墓所のハシゴは終了です。

 

「2年前、自分の車でここに来た時に、脱輪して車ごと転落しそうになった。」という両親のカミングアウトを最後に聞き、少々驚きましたが・・本日も、温泉・食事を終えて、事故なく家に到着です。
墓参りの送迎も、これからの私の仕事になりそうです。