親と歩く46 あじさいロードから足羽山へ 福井市街を望む

2015年6月25日

今回は、ふくい歴史百景に指定されている足羽山に向かいます。

 

足羽山は、福井平野の中心にある独立した小山ですが、近くを流れる足羽川とあわせて、日本さくら名所100選にも指定されており、春には多くの人が訪れます。桜の季節ではありませんが、先日、姉のFaceBookで足羽山のあじさいロードに寄ったとの記事を見て、今回、足羽山の紫陽花と自然史博物館を目的に、足羽山に向かうことにしました。

 

両親と3人で家を出ると、車の後ろの席で、母親が「あなたに近づくとボケが伝染る」と言いだしましたが、父親は珍しく静かにしています。いつもなら、「おまえのほうが、ボケが進んでいる」などと言い返すのに、なぜ本日は静かなのか・・と思いながら、足羽山の麓の角を左に曲がると、もうそこは、あじさいロード。5千株を超える紫陽花が、曲がりくねった一方通行の上り坂に沿って花を開いています。

月半ばに、東京で家族と行った、東京サマーランドのあじさい園の15千株に比べると規模は小さいですが、なにせ車で坂を登れる(東京では長い坂を歩き)というのは楽です。両親も、左右をみながら、「あれは綺麗だ」「あれは色が薄い」などと、ボケ話は忘れたように、紫陽花の品評を始めました。

 

数分であじさいロードは終わり、次は福井市自然史博物館に向けて歩き始めました。なんと100段前後の階段が待ち受けていましたが、左右には、あじさいロード以上に綺麗な紫陽花が並んでいます。最近、神社周りで階段等を上る機会も増え、先の東京のあじさい園でも坂道を上るなど、少しは鍛錬されている私は、さっさと登り終えましたが、両親は、手すりを持って、ゆっくり上がってきます。
先に着いた私は、福井の街並みを眺め、涼しい風に当たりながら博物館の周りを歩いていると、昔の記憶が蘇ってきました。母校藤島高校の校歌~「ときはの森の足羽山、ふもとに眠る橋本が・・」と歌いながら、「ときはの森とは何だろう」と思ったこと、高校の行事である立志式に際して足羽山の麓にある左内公園に行き、高校を代表して橋本左内公の墓にお参りをしたことなどを思い出していましたが、あまりに2人が遅いので、階段に戻ると、あじさいの前で、仲良く一息ついていました(写真)。

 

長年福井に住み、福井市の職員でもあった父親が、「こんな施設があるとは知らなかった。初めてきた。」と福井市自然史博物館の職員に声をかけて、施設見学がはじまりましたが、見学者は私たち3人のみ。福井の公共施設は人が疎らなのは、いつものことですが、週末には子どもがいるのか・・と心配になります。ついでに、子供向けの映像も見ることにしましたが、終わって出てくると、母親が職員の方に、「あまり使っていないのか、室内が湿気て、かび臭い。」と伝えはじめ・・思わず、その場を立ち去りました。

 

そこから、隣の八幡山にある「かんぼの宿」に移動し、日帰り温泉の利用です。偶然、そこは、40年以上前に、父親の従兄妹たちが集まる定例の会が最後に行われた場所でした。父親が若かった頃、福井では空襲、地震の影響があったため、貧しかった一族は近くに集まって住んでいたようで、その結果、父親の従兄妹達は、兄弟同然で育ったとのこと。こうした歴史を背景にした「従兄妹会」だったようですが、夜に、男同士で博打(小さな額だったらしい)をしたことが、私の祖母の知るところとなり、想像を絶するような大きな雷が落ち・・。その後、従兄妹会は開催されることはなかったという顛末ですが、両親は、それ以来の訪問とのことです。もちろん、施設自体は変わっているのでしょうが、このインパクトのある話と場所は、仮に「ボケても」、2人の記憶から消えることはなさそうです。

 

最後に、近くの蕎麦屋で食事となりましたが、そこで出発時の謎が解けました。
最近では2人で行っている健康施設ですが、午前中に行ったときにはあった会員証・・父親が2人分を預かったところまでは明確なのですが、家に帰ると、それが行方不明。どう考えても思い出せないようで・・それが「ボケが伝染る」という母親の発言の背景とわかりました。さらに母親は「私はボケていない。元々、あまり賢くないから。それに比べて・・」とまた、危険な話が始まりそうだったので、「本日は、これまで。さあ、帰ります。」と話を打ち切り、今回の外出は終了です。

 

とりあえず、明日も2人で健康施設には行くようですので、一安心です。