2015年4月16日
今月は、3人で九頭竜川沿いにある勝山弁天桜を散歩です。
父親は、先週日曜、姉達と富山の庄川まで桜を見に行ったようですが、母親は、今年、未だ桜を見に行ったことはないとのこと。近所では桜も散って葉桜の状態ですが、勝山、大野の山沿いでは、今週が満開から散り始めとの情報を得ての出発です。
現地に向かう前に吉峰寺に立ち寄りです。この寺は、曹洞宗の開祖~道元禅師が永平寺を開山する前に修行の道場としていた寺です。私が幼い頃に遠足で来た記憶がありますが、一度、参詣したいと思っていた所です。
ナビを頼りに吉峰寺に向かいますが、一般道路から林道に、さらに狭い道へと変わると、母親が「どこに行くのか? こんな狭い道だとドキドキして心臓に悪い。」と言い出します。予定表には、お寺に行くと書いてあるのですが、すっかり忘れている様子。しかし、道端を2人の僧侶が歩いているのを見ると、「お寺に行くのか・・」と思い出したようです。
ウグイスの声が聞こえる中、杉の巨木の間に本堂を見ていると・・また母親が、今度は、山深い地域で生まれて育った頃を思い出したか、「昔は、この杉の葉で火をおこしたものだ」「結婚して北川に来た時は、ワラで火を起こしていてビックリしたが」と昔話です。
最後は「熊が出る」と言い出し、車に向かって先頭で歩き出しましたが、車の近くに、坂を徒歩で登り切った2人の僧侶が居るのを見つけると、さっそく話しかけます。「どこに行っていたの」「どこから来たの」「熊は出るのか」と続け、「永平寺には行けなかったの」と不躾な質問まで出ましたが、修行中と思われる若い僧侶2名は、「村落までゴミを捨てに行っていました」「東京と秋田から来ました」「熊も何回か見ました」「永平寺の修行に来ましたが、その一環で、当寺にいます」と丁寧な回答が・・このやりとりを聞きながら、先週、隠岐でいろいろと聞きまわっていた自分の姿を思い出し、「母親と自分は似ているところがある」と苦笑して、吉峰寺は終了です。
そこから20分ほどで、勝山弁天桜に到着です。
九頭竜川の堤防沿いに1.5kmにわたって続くソメイヨシノの桜並木ですが、平日にもかかわらず多くの人が散策しています。子供連れ、老夫婦、カメラ片手の男性、障碍者の一行、そのうち名古屋ナンバーの観光バスも到着です。青空の下、桜並木の向こうに残雪の山が見える景色は、なかなか良いものです。
両親は、ゆっくりと桜並木の中を歩き(写真)、また、ベンチで座って、河川敷で高齢者が興じているマレットゴルフを眺めながら、長閑な午後を過ごしています。父親は昨年姉たちと、母親は50年以上前に姉妹で来たことがあるようですが、その時の話に興じているようです。
初めてきた私も、隠岐で見た桜を思い出しては、風になびく鯉のぼりを見て、のんびりした気分になりました。隠岐から福井に移動する途中、地方に出向中のお役所時代の同期が話す苦労を思い出したり、昨年今年と続けて両親を亡くした知人のことを思い出したりして、少々、申し訳ない気持ちにもなりましたが・・こうした豊かな時間は大事と思うばかりです。
ただ、2人で歩く両親の姿は、少々、覚束なくなっているようにも見え、やはり老いは進んでいるのでしょう。1年前よりは元気になっていますが、3年前よりは衰えていることは間違いありません。
来月は、2人を北陸新幹線に乗せて松本に行く予定です。お互いに良い記憶を残したいものです。