親と歩く36 一病息災の両親 織田氏発祥の地を散策

2014年8月29日

今回は、越前町に所在する劔神社、織田文化歴史館へ行きました。

 

ここ数日は雨等の不順な天気でしたが、本日は、朝から日差しも暖かに感じる一日です。
事前に伝えた予定時間に出発するつもりでしたが、「昼近くにならないと家に戻れない」と母親が言い出しました。20日ほど前から行き始めた健康増進関連のサービスに本日も行きたいとの由。何事も本人の希望が優先と、小一時間待機して昼過ぎに出発です。

今回の目的地は、旧織田町~2005年に合併して、現在は越前町です。

 

この織田は、「織田荘」という皇室系の荘園として鎌倉時代の記録に名を残す地域であり、また、室町時代には、当該荘園の荘官(劔神社の神官も兼ねる)が、当時の越前守護の斯波氏に取り立てられ尾張に派遣されて「織田氏」を名乗った(織田信長の先祖)と言われています。

バス停周辺には織田信長の像があり、その像が面する通りは「信長通り」の表示と、織田信長で「売り出す」姿勢のようです。

 

私は何度か劔神社に参拝していますが両親は初めての由。織田氏とのつながりも初めて知る様子でした。

父親は素戔嗚尊を主神とする本殿を参拝した後も、左右にある各摂社に順番に参拝しています。一緒に神社に行ったことは何度かありますが、こうした姿は初めてです。特に織田神社の前では、涼しい風を受けながら、書かれた由緒をじっくりと見ていました(写真)。やはり「織田信長」の名前が、この神社・地域全体の興味をそそるのでしょうか。

 

続いて、隣接する越前町織田文化歴史館に移動です。
この施設は、歴史資料館・文化交流ホール・図書館との複合施設です。歴史資料部門は、織田の歴史をパネル・写真で示しながら実物も少しあるという形式の内容でしたが、パネル・写真の展示自体は、結構、面白く、母親は、特に劔神社の祭りに興味を示したようで「見てみたい」との発言もありました。その流れでしょうか、文化交流部門の大型ビジョンを見つけると「祭りの映像」は流れないのかと言い出しました。6月に和倉温泉に行った際、同じような地域の展示施設で、当該地域の祭りの映像を見たことを思い出したのでしょう。
その時は、館の方が、わざわざ「ぜひ見てください」と映像を準備していただいたとの記憶がありますが、今回は、映像があるのかどうかもわからず、館の方も窓口で何かの読書に忙しい様子でした。せっかく地域を織田信長~劔神社で売り出すのであれば、季節季節の祭りの映像を見られるようにすると、また来たいと思う方も少しは増えるのではないかと一瞬頭をよぎりましたが・・直ぐに「実現は難しい」と3年を超える福井生活の経験から思い直しました。

 

さて、帰りの車の中で、母親の通う健康関連サービスのことが話題になりました。
自転車で⒑分程度の大型ショッピング施設の空き店舗スペースで、健康増進の活動を月6千円程度/1人で実施しており、近所の方に誘われて行ったら近所の人ばかりで、通い出したら咳も減って尿の回数も減った・・との由。
科学的な根拠は不明ですが、確かに、前回とは違って車内での咳の数も減って、トイレに行く回数も1回だけ。よく聞くと、いささか怪しげなところもありますが、まずは毎日元気で通っていることを喜ぶことに。

 

2週間前は、咳の止まらない母親が「冷房で咳が出る」と冷房を禁止し、暑がりの父親は「冷房がないので眠れない」と、自前のマンションの空き室で夜寝るという一触即発の空気もあり、どうなるのか・・と個人的には興味津々でしたが、「母親の咳が少なくなり」、「暑さも少し和らぎ」、「夜に家とは別の場所に行くのは面倒くさい」という3つの理由で、「夜の別居」は数日で終了したようです。

 

それぞれ病気を抱えた両親。今のところは一病息災~相手とも病気とも仲良くやってます・・